ブログ(仮)
Posted by l.c.oh - 2005.09.22,Thu
在外邦人選挙権の判決も今回で最後です。きょうは、15日のエントリでいうところの③の判断について取り上げます。
何が問題になったか
③国会が法律を改正しなかったという不作為を理由にして、賠償金が取れるか。
裁判所の判断
③取れる(賛成11対反対3)
詳細
事実関係については、15日のエントリを参照してください。
法律
立法の不作為はどのように裁判所に持っていくのかが難しい問題になること、「確認の訴え」は「確認の利益」がなかなか認めてもらえないことは、昨日見ました。そこで考えられた方法が、国家賠償を使う方法です。
国家賠償とは、公務員のしたことによって誰かが損害をこうむった場合、国が賠償をする制度です。その名もずばり、国家賠償法という法律があります。
この事件の場合は、公職選挙法を改正しなかったことによって、外国に住む日本人が精神的損害をこうむったので、その損害賠償(いわゆる慰謝料)を取れるかが問題になりました。
国家賠償で賠償金を取るためには、公務員のしたことが「違法」であることが必要です(国家賠償法1条)。立法不作為の場合は、国会議員が法律を作らないということが「違法」という評価を受けるかどうかが勝負の分かれ目になります。
では、どのような場合に立法行為が「違法」になるのでしょうか。最高裁判所は、以前、「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているのもかかわらず国会があえて当該立法を行うような容易に想定しがたいような例外的な場合でない限り」違法にはならないという判断をしています(昭和60年11月21日在宅投票制度廃止事件、憲法判例百選II・426頁)。こんな例はまず考えられないでしょう。これは、立法について国会が自由に決められる部分を非常に広く認めたもので、国会がひどいことをしたときは、基本的に選挙で問題を解決すべしという考慮に基づくものです(これについては、15日のエントリも参照してください。)。
一般的には、この昭和60年の判決によって、立法不作為で国家賠償が取れる可能性、ひいては憲法違反の判決を取れる可能性はほとんどゼロになってしまった、といわれていました。そのような状況の中ででたのが今回の判決です。
裁判所の判断
大方の予想を覆して、最高裁判所は国家賠償を認めました。外国に住む日本人の投票権についての立法不作為は、「例外的な場合」にあたると判断したのです。結果、立法不作為が違法とされ、慰謝料請求が認められました。
このような判断をするにあたって、最高裁判所は理由を2つ挙げています。1つは、外国に住む日本人にも選挙権が憲法で保障されていることが明らかであること、もう1つは、あまりに長いこと国会が何もしなかったことです。
2つ目について少し補足をしておきます。法律を作るには、細かい調整をしたり討議をしたりとそれなりに時間がかかります。そこで、憲法違反の状態が生じていても、国会が法律を作るのに必要な時間が経っていないときには、裁判所は憲法違反の判決を出さないようになっています。ただ、今回のケースは、事実上選挙ができる状態になってから10年以上国会が何もしなかった場合なので、あまりにひどい状況に最高裁判所が業を煮やして、「例外的な場合」にあたるとしたと思われます。
今まで「例外的な場合」にあたるとした判決はなかったので、これを認めたという点で今回の判決は非常に重要な判断といえるでしょう。「例外的な場合」が、昭和60年判決からみんなが考えていたほど極限的な場合だけではないことが明らかになったという点でも注目されます。
ちなみに、慰謝料は一人5000円です。安いですね。
ただ、泉裁判官の反対意見にもあるように、今回の原告の目的は、賠償金をとることではなく、憲法違反の判決をもらうことだったと考えられるので、金額はあまり問題ではないのです。(泉裁判官はさらにすすんで、「だったら賠償金は払う必要なんてないよね」といっています。この背後には様々な考慮があるのですが、長くなるので割愛します。)
長くかかってしまってすみませんでした。②と③の話は、法律を勉強したことのない人には若干分かりにくい話だと思います。どれだけまとめられたか自信がありません。分からない点はご指摘ください。
何が問題になったか
③国会が法律を改正しなかったという不作為を理由にして、賠償金が取れるか。
裁判所の判断
③取れる(賛成11対反対3)
詳細
事実関係については、15日のエントリを参照してください。
法律
立法の不作為はどのように裁判所に持っていくのかが難しい問題になること、「確認の訴え」は「確認の利益」がなかなか認めてもらえないことは、昨日見ました。そこで考えられた方法が、国家賠償を使う方法です。
国家賠償とは、公務員のしたことによって誰かが損害をこうむった場合、国が賠償をする制度です。その名もずばり、国家賠償法という法律があります。
この事件の場合は、公職選挙法を改正しなかったことによって、外国に住む日本人が精神的損害をこうむったので、その損害賠償(いわゆる慰謝料)を取れるかが問題になりました。
国家賠償で賠償金を取るためには、公務員のしたことが「違法」であることが必要です(国家賠償法1条)。立法不作為の場合は、国会議員が法律を作らないということが「違法」という評価を受けるかどうかが勝負の分かれ目になります。
では、どのような場合に立法行為が「違法」になるのでしょうか。最高裁判所は、以前、「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているのもかかわらず国会があえて当該立法を行うような容易に想定しがたいような例外的な場合でない限り」違法にはならないという判断をしています(昭和60年11月21日在宅投票制度廃止事件、憲法判例百選II・426頁)。こんな例はまず考えられないでしょう。これは、立法について国会が自由に決められる部分を非常に広く認めたもので、国会がひどいことをしたときは、基本的に選挙で問題を解決すべしという考慮に基づくものです(これについては、15日のエントリも参照してください。)。
一般的には、この昭和60年の判決によって、立法不作為で国家賠償が取れる可能性、ひいては憲法違反の判決を取れる可能性はほとんどゼロになってしまった、といわれていました。そのような状況の中ででたのが今回の判決です。
裁判所の判断
大方の予想を覆して、最高裁判所は国家賠償を認めました。外国に住む日本人の投票権についての立法不作為は、「例外的な場合」にあたると判断したのです。結果、立法不作為が違法とされ、慰謝料請求が認められました。
このような判断をするにあたって、最高裁判所は理由を2つ挙げています。1つは、外国に住む日本人にも選挙権が憲法で保障されていることが明らかであること、もう1つは、あまりに長いこと国会が何もしなかったことです。
2つ目について少し補足をしておきます。法律を作るには、細かい調整をしたり討議をしたりとそれなりに時間がかかります。そこで、憲法違反の状態が生じていても、国会が法律を作るのに必要な時間が経っていないときには、裁判所は憲法違反の判決を出さないようになっています。ただ、今回のケースは、事実上選挙ができる状態になってから10年以上国会が何もしなかった場合なので、あまりにひどい状況に最高裁判所が業を煮やして、「例外的な場合」にあたるとしたと思われます。
今まで「例外的な場合」にあたるとした判決はなかったので、これを認めたという点で今回の判決は非常に重要な判断といえるでしょう。「例外的な場合」が、昭和60年判決からみんなが考えていたほど極限的な場合だけではないことが明らかになったという点でも注目されます。
ちなみに、慰謝料は一人5000円です。安いですね。
ただ、泉裁判官の反対意見にもあるように、今回の原告の目的は、賠償金をとることではなく、憲法違反の判決をもらうことだったと考えられるので、金額はあまり問題ではないのです。(泉裁判官はさらにすすんで、「だったら賠償金は払う必要なんてないよね」といっています。この背後には様々な考慮があるのですが、長くなるので割愛します。)
長くかかってしまってすみませんでした。②と③の話は、法律を勉強したことのない人には若干分かりにくい話だと思います。どれだけまとめられたか自信がありません。分からない点はご指摘ください。
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Posted by l.c.oh - 2005.09.21,Wed
予定通り、②について書きます。③はちょっと時間がなかったので、また今度。
これは、非常に法技術的側面が強いところです。今の日本の法律を前提とした場合、どのように解釈すれば救済できるかが難しい問題だと考えられていて、それに対して最高裁判所が一定の見解を示したことが注目されます。
何が問題になったか ②「次の選挙のときに外国にいる日本人が投票できる」という地位の確認を求める裁判ができるか。
裁判所の判断
②できる(賛成12対反対2)
詳細
事実関係については、15日のエントリを参照してください。
②に関連して少し補足をしておくと、この訴訟では、「平成10年以前の公職選挙法が違法であることの確認」と、「現在の公職選挙法が違法であることの確認」と、「次の選挙のときに外国にいる日本人が投票できることの確認」の3つの確認の訴えがなされていました。
法律
まず、そもそも法律を改正しないこと(立法不作為)が憲法違反になるか、という問題があります。

普通憲法違反が問題になる場合は、上の図の「現状」が正しいか否か、という形で問題になります。この場合、他にどのような選択肢があるかは深刻な形では問題になりません。一方、立法不作為が憲法違反だと主張するのは、上の図で言えば、選択肢2を選ばなかったことを問題にするということです。この場合は、他の選択肢が考慮に入ってきます。他の選択肢にも、それぞれ利害があるわけで、それを検討・調整するのには、裁判所は向いていないと考えられています。なぜなら、裁判所は是か非かの判決を出すのが仕事で、是か非かでは割り切れない複雑な利害調整をするところではないからです。このようなことは、一般的には国会での議論ですることだといえます。そこで、立法不作為が憲法違反になるのは、選択肢2を選ぶことが憲法で明らかに要求されている場合(立法義務がある場合)に限られると考えられています。
ちょっとわかりにくいですかね。要は、「しないこと」が憲法違反になるには、「すること」が憲法で明らかに義務付けられている場合だけだ、ということです。
次に、立法不作為が憲法違反であるという判決を、裁判所が出せるかという問題があります(国会の裁量については、15日のエントリを参照してください。)。現在の法律上、立法不作為違憲訴訟という形態の裁判は用意されていません。そこで、どのような訴えをすれば、立法不作為を争えるかが問題になってきます。
まず考えられたのが、「確認の訴え」を使う方法です(他に考えられたものとして、国家賠償法を使う方法がありますが、これについては③を書くときに説明します。)。
民事裁判では、求める判決の内容によって3種類の訴えがあります。「給付の訴え」「確認の訴え」「形成の訴え」がそれです。「給付の訴え」は、例えば、貸したお金を返してくれと訴えるような場合です。これで裁判に勝つと、強制執行をかけることができます。「確認の訴え」は、例えば、ある土地が自分のものだということを明らかにしてくれと訴える場合や、100万円の借金返済を相手が要求してきたときに50万円しか借りていないことを明らかにしてくれと訴える場合です。「形成の訴え」はちょっと特殊で、裁判所が判決を出さないと権利関係が変わらない場合です。例としては結婚を取り消す(離婚ではなく)場合などがあります。
この事件では、「確認の訴え」が使われました(正確には、この事件は民事訴訟ではなく、行政訴訟という類型に入りますが、あまり差はありません。)。ただ、確認の訴えをしたとき、裁判所から判決をもらうためには、「確認の利益」というものが必要です。「確認の利益」は、「現に存する法律上の紛争の直接かつ抜本的な解決のために適切かつ必要な場合(最高裁判所の言い回し)」だけしか認められません。なぜなら、法律関係はいろいろ変化するものなので、過去の法律関係を確認しても今もそのままだという保障がなく、普通はあまり意味がないからです(「現に存する」の意味)。また、確認の訴えというのは、給付の訴えに比べて、強制執行ができないという点で弱い力しか持たない判決しかもらえないので、できれば給付の訴えの方が望ましいという理由もあります(「直接かつ抜本的な云々」の意味)。
立法不作為が憲法違反であると主張する裁判は、今までは「確認の利益」がないとして訴えが認められていませんでした。最高裁判所のいう「確認の利益」を満たす訴えが難しかったからです。
裁判所の判断
今回の事件でも、3つの確認の訴えのうち、2つは「確認の利益」で切られています。
まず、「平成10年以前の公職選挙法が違法であることの確認」は、過去の法律関係を確認するものなのでダメ、とされました。
「現在の公職選挙法が違法であることの確認」も、「確認の利益」がないとされています。例えば、外国に住む日本人に選挙権を与えるという改正をしなかったこと(立法不作為)が憲法違反だとしても、彼らがすぐに投票できるようになるわけではありません。法律を作ることができるのは国会だけで、法律が作られないと、投票ができるようにはならないからです。投票の方法など細かい調整も必要です。ですから、立法不作為の憲法違反を確認しても、争いが「直接かつ抜本的」に解決するとはいえないのです。最高裁判所の判断の背後には、このような考慮があったと考えられます。
そこで、立法不作為の憲法違反自体を確認するのではなく、「次の選挙の時には投票ができる」という地位があることの確認を求める方法を考えました(これを考え付いた弁護士さんは偉大だと思います。)。これならば、今の時点の地位が問題になっていますし、選挙権の有無について「直接かつ抜本的」に解決することができます。最高裁判所は、この確認の訴えについては「確認の利益」を認めました。これは、最高裁判所が救済のために頑張ったという面もありますが、弁護士のアイディア勝ちの面が強いといえるでしょう。
田舎にはあんまり情報のソースがないので、曖昧な記憶を頼りに書きました。細かい点ははしょりましたし、嘘は書かないように注意しましたが、おかしい点はご指摘ください。
これは、非常に法技術的側面が強いところです。今の日本の法律を前提とした場合、どのように解釈すれば救済できるかが難しい問題だと考えられていて、それに対して最高裁判所が一定の見解を示したことが注目されます。
何が問題になったか ②「次の選挙のときに外国にいる日本人が投票できる」という地位の確認を求める裁判ができるか。
裁判所の判断
②できる(賛成12対反対2)
詳細
事実関係については、15日のエントリを参照してください。
②に関連して少し補足をしておくと、この訴訟では、「平成10年以前の公職選挙法が違法であることの確認」と、「現在の公職選挙法が違法であることの確認」と、「次の選挙のときに外国にいる日本人が投票できることの確認」の3つの確認の訴えがなされていました。
法律
まず、そもそも法律を改正しないこと(立法不作為)が憲法違反になるか、という問題があります。
普通憲法違反が問題になる場合は、上の図の「現状」が正しいか否か、という形で問題になります。この場合、他にどのような選択肢があるかは深刻な形では問題になりません。一方、立法不作為が憲法違反だと主張するのは、上の図で言えば、選択肢2を選ばなかったことを問題にするということです。この場合は、他の選択肢が考慮に入ってきます。他の選択肢にも、それぞれ利害があるわけで、それを検討・調整するのには、裁判所は向いていないと考えられています。なぜなら、裁判所は是か非かの判決を出すのが仕事で、是か非かでは割り切れない複雑な利害調整をするところではないからです。このようなことは、一般的には国会での議論ですることだといえます。そこで、立法不作為が憲法違反になるのは、選択肢2を選ぶことが憲法で明らかに要求されている場合(立法義務がある場合)に限られると考えられています。
ちょっとわかりにくいですかね。要は、「しないこと」が憲法違反になるには、「すること」が憲法で明らかに義務付けられている場合だけだ、ということです。
次に、立法不作為が憲法違反であるという判決を、裁判所が出せるかという問題があります(国会の裁量については、15日のエントリを参照してください。)。現在の法律上、立法不作為違憲訴訟という形態の裁判は用意されていません。そこで、どのような訴えをすれば、立法不作為を争えるかが問題になってきます。
まず考えられたのが、「確認の訴え」を使う方法です(他に考えられたものとして、国家賠償法を使う方法がありますが、これについては③を書くときに説明します。)。
民事裁判では、求める判決の内容によって3種類の訴えがあります。「給付の訴え」「確認の訴え」「形成の訴え」がそれです。「給付の訴え」は、例えば、貸したお金を返してくれと訴えるような場合です。これで裁判に勝つと、強制執行をかけることができます。「確認の訴え」は、例えば、ある土地が自分のものだということを明らかにしてくれと訴える場合や、100万円の借金返済を相手が要求してきたときに50万円しか借りていないことを明らかにしてくれと訴える場合です。「形成の訴え」はちょっと特殊で、裁判所が判決を出さないと権利関係が変わらない場合です。例としては結婚を取り消す(離婚ではなく)場合などがあります。
この事件では、「確認の訴え」が使われました(正確には、この事件は民事訴訟ではなく、行政訴訟という類型に入りますが、あまり差はありません。)。ただ、確認の訴えをしたとき、裁判所から判決をもらうためには、「確認の利益」というものが必要です。「確認の利益」は、「現に存する法律上の紛争の直接かつ抜本的な解決のために適切かつ必要な場合(最高裁判所の言い回し)」だけしか認められません。なぜなら、法律関係はいろいろ変化するものなので、過去の法律関係を確認しても今もそのままだという保障がなく、普通はあまり意味がないからです(「現に存する」の意味)。また、確認の訴えというのは、給付の訴えに比べて、強制執行ができないという点で弱い力しか持たない判決しかもらえないので、できれば給付の訴えの方が望ましいという理由もあります(「直接かつ抜本的な云々」の意味)。
立法不作為が憲法違反であると主張する裁判は、今までは「確認の利益」がないとして訴えが認められていませんでした。最高裁判所のいう「確認の利益」を満たす訴えが難しかったからです。
裁判所の判断
今回の事件でも、3つの確認の訴えのうち、2つは「確認の利益」で切られています。
まず、「平成10年以前の公職選挙法が違法であることの確認」は、過去の法律関係を確認するものなのでダメ、とされました。
「現在の公職選挙法が違法であることの確認」も、「確認の利益」がないとされています。例えば、外国に住む日本人に選挙権を与えるという改正をしなかったこと(立法不作為)が憲法違反だとしても、彼らがすぐに投票できるようになるわけではありません。法律を作ることができるのは国会だけで、法律が作られないと、投票ができるようにはならないからです。投票の方法など細かい調整も必要です。ですから、立法不作為の憲法違反を確認しても、争いが「直接かつ抜本的」に解決するとはいえないのです。最高裁判所の判断の背後には、このような考慮があったと考えられます。
そこで、立法不作為の憲法違反自体を確認するのではなく、「次の選挙の時には投票ができる」という地位があることの確認を求める方法を考えました(これを考え付いた弁護士さんは偉大だと思います。)。これならば、今の時点の地位が問題になっていますし、選挙権の有無について「直接かつ抜本的」に解決することができます。最高裁判所は、この確認の訴えについては「確認の利益」を認めました。これは、最高裁判所が救済のために頑張ったという面もありますが、弁護士のアイディア勝ちの面が強いといえるでしょう。
田舎にはあんまり情報のソースがないので、曖昧な記憶を頼りに書きました。細かい点ははしょりましたし、嘘は書かないように注意しましたが、おかしい点はご指摘ください。
Posted by l.c.oh - 2005.09.15,Thu
公立学校で行われる星条旗への誓いの文言に「神のもと」という言葉があるのは、政教分離原則違反、という判決がアメリカの地方裁判所ででたようです。
朝日新聞の記事
アメリカでは、始業時に星条旗に向かって「忠誠の誓い」を唱える習わしになっているようですが、その中に「under God」という文言があったのが問題にされたようです。アメリカの最高裁判所はこの件については実質的な判断をしたことがないようなので、今後の動向が注目されます。日本の政教分離原則に関しては、アメリカ裁判所の判断の方法が参考にされているところが多いので、理論的にも興味深い紛争になりそうです。
なんだか、日の丸君が代の騒動を思い出しますが、アメリカでは星条旗に忠誠を誓うこと自体は問題にされないんですかね?僕は、国家に忠誠を誓う、というのも、ある種の宗教のようなものではないかと思っているのですが…。
朝日新聞の記事
アメリカでは、始業時に星条旗に向かって「忠誠の誓い」を唱える習わしになっているようですが、その中に「under God」という文言があったのが問題にされたようです。アメリカの最高裁判所はこの件については実質的な判断をしたことがないようなので、今後の動向が注目されます。日本の政教分離原則に関しては、アメリカ裁判所の判断の方法が参考にされているところが多いので、理論的にも興味深い紛争になりそうです。
なんだか、日の丸君が代の騒動を思い出しますが、アメリカでは星条旗に忠誠を誓うこと自体は問題にされないんですかね?僕は、国家に忠誠を誓う、というのも、ある種の宗教のようなものではないかと思っているのですが…。
Posted by l.c.oh - 2005.09.15,Thu
では、14日に出された大法廷判決について見てみましょう。
なお、次回の国民審査の対象になる人はいませんので、国民審査には直接は関係がありません。それから、着任間もない古田裁判官は関係していません。念のため。
何が問題になったか
①外国に住んでいる日本人に選挙をさせないという法律は憲法に違反しないか。
②「次の選挙のときに外国にいる日本人が投票できる」という地位の確認を求める裁判ができるか。
③国会が法律を改正しなかったという不作為を理由にして、賠償金が取れるか。
裁判所の判断
①違反する(賛成12対反対2)
②できる(賛成12対反対2)
③取れる(賛成11対反対3)
詳細
今回の裁判では、①の判断が最も重要な判断であり、争った人が最も欲しかったものだと思います。ただ、①の判断をもらうためには、まず②が認められる必要があります(詳細は来週、かな。)。この裁判で一番争いになったのは②の点のようですし、高等裁判所も②が認められないという理由で、①については判断していません。
③は、ある意味②が認められなかった場合の保険のようなものです。ただ、ここでも非常に重要な判断がされています。
事実関係
選挙の方法などについて定めているのは、「公職選挙法」という法律です。以下では、「公選法」と書きます。
この事件で想定されている「外国に住んでいる日本人」は、仕事の都合などで、ある程度長期にわたって海外に暮らしている人です。およそ70万人といわれています。このような人たちは、住民票なども海外に持っていってしまうことが多いようです。
i)平成10年以前
公選法では、選挙をするには、日本国内の市町村に住民票がおいてあることが条件になっていました。しかし、外国に住んでいる日本人は、日本国内には住民票がありません。ですから、衆議院も参議院も一切投票ができませんでした。これは、世界中の大使館などに投票所を設けるのは大変だから、という理由付けがされていました。
これを改正しようという動きは結構昔からありました。昭和59年には、改正案も作られ、国会に提出されています。しかし、何に巻き込まれたのか、本格的な審議は行われないまま廃案になってしまいました。これ以降、平成10年に公選法が改正されるまで、目立った動きはありませんでした。
ii)平成10年以降
平成10年についに公選法が改正されて、「在外選挙人名簿」が作られることになりました。外国に住んでいる日本人が大使館などに行ってこの名簿に登録してもらうと、投票ができる、という仕組みです。しかし、投票が認められたのは比例代表だけで、小選挙区は投票が認められませんでした。これは、候補者個人についての情報が外国にいる日本人には届かないから、という理由付けがされていました。
このような扱いが、憲法に違反しないかが問題になりました。
とりあえず、①についてのみ扱います。
法律
憲法14条は法の下の平等を定めています。また、憲法15条は1項で、公務員を選ぶことは国民の権利であるということを宣言し、3項で、成人による普通選挙を保障しています。ここから、日本国籍を持っている人が選挙権を保証されていることは、ほとんど争いようのないことです。
一方、よっぽどの理由がある場合は、選挙権を与えないことも認められています。例えば、選挙のときに不正をはたらいた人は、一定期間投票をすることができないことになっています。このような人が選挙に参加すると、選挙が公正にできなくなってしまうからです。
さらに、「よっぽどの理由」があるかどうかは、基本的に国会が判断することになっています。これは、憲法47条が、選挙に関することは法律で定める、としていることが根拠です。法律を作るのは国会ですので、選挙に関すること(選挙権を制限する場合はどういう場合かなど)は国会が決める権限がある、というわけです。
ただ、いくら国会が決められるとしても、国会が決めた(または決めない)ことが明らかにおかしい場合で、それがずっと直されないままのときは、裁判所が何とかする場合もあります。
裁判所の判断
i)平成10年以前の部分について
裁判所は、
選挙権を制限するだけのよっぽどの理由はなかった
→選挙権を制限したのは憲法違反
と判断しました。
上述のように、世界中に投票所を設けるのは大変だから、というのが、国会が考えた「よっぽどの理由」でした。しかし、実際に投票所を用意するのは政府で、その政府は昭和59年の段階で外国に住んでいる日本人にも選挙権を与えるという改正案を国会に出しています。遅くとも昭和59年には、政府が、「投票所は用意できるぞ」と考えていたこと分かります。裁判所は、「政府ができるといっているのに、それを国会が10年以上も放っておいたというのは、明らかに国会の怠慢だ」として、憲法違反の判断をしました。
ii)平成10年以降の部分について
裁判所は、ここについても、
選挙権を制限するだけのよっぽどの理由はなかった
→選挙権を制限したのは憲法違反
と判断しました。
この場合、国会が考えた「よっぽどの理由」は、短い選挙期間の間に、候補者個人についての情報をきちんと届けるのが非常に難しい、ということです。しかし、通信手段がすごい勢いで発達しているのに、情報を届けるのが難しいというのはおかしな話だといえます。また、参議院選挙の比例代表では、候補者個人の名前を書くのが原則(非拘束名簿式といわれるやつですね)になっているので、これを小選挙区と区別する理由が乏しいともいえます。裁判所はこの2つの理由によって、憲法違反という判断をしました。
法律が憲法違反であると判断されたのは、憲法施行60年近い歴史のなかで、7件目です。
これに対し、上田豊三・横尾和子の2裁判官は、国会が考えた「よっぽどの理由」はそれぞれ納得できるものだから、憲法に違反しない、という反対意見を述べています。
今後の対応
政府は、次の通常国会で公選法を改正し、外国に住んでいる日本人も小選挙区に投票できるようにするとしています。
メディアの評価
おおむね好意的に評価されているようです。
僕のソースは基本的に新聞しかないのですが、多くの一般紙が1面トップと社説(ネット上で社説が確認できたいわゆる大手新聞社は全て)で取り上げています。
多くの記事は、判決を簡単に紹介した上で、妥当な判決であるとし、最終的に政府・国会に迅速な対応を求めています。
②と③の部分については、法技術的になってしまって難しいので、とりあえず触れないことにします(実はこっちのほうが画期的な判断だったりするのですが。)。難しい話を解きほぐす時間ができたら、書きたいと思っていますが、おそらく来週以降になるでしょう。
なお、次回の国民審査の対象になる人はいませんので、国民審査には直接は関係がありません。それから、着任間もない古田裁判官は関係していません。念のため。
何が問題になったか
①外国に住んでいる日本人に選挙をさせないという法律は憲法に違反しないか。
②「次の選挙のときに外国にいる日本人が投票できる」という地位の確認を求める裁判ができるか。
③国会が法律を改正しなかったという不作為を理由にして、賠償金が取れるか。
裁判所の判断
①違反する(賛成12対反対2)
②できる(賛成12対反対2)
③取れる(賛成11対反対3)
詳細
今回の裁判では、①の判断が最も重要な判断であり、争った人が最も欲しかったものだと思います。ただ、①の判断をもらうためには、まず②が認められる必要があります(詳細は来週、かな。)。この裁判で一番争いになったのは②の点のようですし、高等裁判所も②が認められないという理由で、①については判断していません。
③は、ある意味②が認められなかった場合の保険のようなものです。ただ、ここでも非常に重要な判断がされています。
事実関係
選挙の方法などについて定めているのは、「公職選挙法」という法律です。以下では、「公選法」と書きます。
この事件で想定されている「外国に住んでいる日本人」は、仕事の都合などで、ある程度長期にわたって海外に暮らしている人です。およそ70万人といわれています。このような人たちは、住民票なども海外に持っていってしまうことが多いようです。
i)平成10年以前
公選法では、選挙をするには、日本国内の市町村に住民票がおいてあることが条件になっていました。しかし、外国に住んでいる日本人は、日本国内には住民票がありません。ですから、衆議院も参議院も一切投票ができませんでした。これは、世界中の大使館などに投票所を設けるのは大変だから、という理由付けがされていました。
これを改正しようという動きは結構昔からありました。昭和59年には、改正案も作られ、国会に提出されています。しかし、何に巻き込まれたのか、本格的な審議は行われないまま廃案になってしまいました。これ以降、平成10年に公選法が改正されるまで、目立った動きはありませんでした。
ii)平成10年以降
平成10年についに公選法が改正されて、「在外選挙人名簿」が作られることになりました。外国に住んでいる日本人が大使館などに行ってこの名簿に登録してもらうと、投票ができる、という仕組みです。しかし、投票が認められたのは比例代表だけで、小選挙区は投票が認められませんでした。これは、候補者個人についての情報が外国にいる日本人には届かないから、という理由付けがされていました。
このような扱いが、憲法に違反しないかが問題になりました。
とりあえず、①についてのみ扱います。
法律
憲法14条は法の下の平等を定めています。また、憲法15条は1項で、公務員を選ぶことは国民の権利であるということを宣言し、3項で、成人による普通選挙を保障しています。ここから、日本国籍を持っている人が選挙権を保証されていることは、ほとんど争いようのないことです。
一方、よっぽどの理由がある場合は、選挙権を与えないことも認められています。例えば、選挙のときに不正をはたらいた人は、一定期間投票をすることができないことになっています。このような人が選挙に参加すると、選挙が公正にできなくなってしまうからです。
さらに、「よっぽどの理由」があるかどうかは、基本的に国会が判断することになっています。これは、憲法47条が、選挙に関することは法律で定める、としていることが根拠です。法律を作るのは国会ですので、選挙に関すること(選挙権を制限する場合はどういう場合かなど)は国会が決める権限がある、というわけです。
ただ、いくら国会が決められるとしても、国会が決めた(または決めない)ことが明らかにおかしい場合で、それがずっと直されないままのときは、裁判所が何とかする場合もあります。
裁判所の判断
i)平成10年以前の部分について
裁判所は、
選挙権を制限するだけのよっぽどの理由はなかった
→選挙権を制限したのは憲法違反
と判断しました。
上述のように、世界中に投票所を設けるのは大変だから、というのが、国会が考えた「よっぽどの理由」でした。しかし、実際に投票所を用意するのは政府で、その政府は昭和59年の段階で外国に住んでいる日本人にも選挙権を与えるという改正案を国会に出しています。遅くとも昭和59年には、政府が、「投票所は用意できるぞ」と考えていたこと分かります。裁判所は、「政府ができるといっているのに、それを国会が10年以上も放っておいたというのは、明らかに国会の怠慢だ」として、憲法違反の判断をしました。
ii)平成10年以降の部分について
裁判所は、ここについても、
選挙権を制限するだけのよっぽどの理由はなかった
→選挙権を制限したのは憲法違反
と判断しました。
この場合、国会が考えた「よっぽどの理由」は、短い選挙期間の間に、候補者個人についての情報をきちんと届けるのが非常に難しい、ということです。しかし、通信手段がすごい勢いで発達しているのに、情報を届けるのが難しいというのはおかしな話だといえます。また、参議院選挙の比例代表では、候補者個人の名前を書くのが原則(非拘束名簿式といわれるやつですね)になっているので、これを小選挙区と区別する理由が乏しいともいえます。裁判所はこの2つの理由によって、憲法違反という判断をしました。
法律が憲法違反であると判断されたのは、憲法施行60年近い歴史のなかで、7件目です。
これに対し、上田豊三・横尾和子の2裁判官は、国会が考えた「よっぽどの理由」はそれぞれ納得できるものだから、憲法に違反しない、という反対意見を述べています。
今後の対応
政府は、次の通常国会で公選法を改正し、外国に住んでいる日本人も小選挙区に投票できるようにするとしています。
メディアの評価
おおむね好意的に評価されているようです。
僕のソースは基本的に新聞しかないのですが、多くの一般紙が1面トップと社説(ネット上で社説が確認できたいわゆる大手新聞社は全て)で取り上げています。
多くの記事は、判決を簡単に紹介した上で、妥当な判決であるとし、最終的に政府・国会に迅速な対応を求めています。
②と③の部分については、法技術的になってしまって難しいので、とりあえず触れないことにします(実はこっちのほうが画期的な判断だったりするのですが。)。難しい話を解きほぐす時間ができたら、書きたいと思っていますが、おそらく来週以降になるでしょう。
Posted by l.c.oh - 2005.09.15,Thu
Posted by l.c.oh - 2005.09.14,Wed
国民審査が終わって、アクセス数もだいぶ落ち着いてきました。
今日は、ちょっとおもしろい、沖縄県の国民審査結果を見てみることにします。
まず、下の表を見てください。
すごい差ですよね。最初計算したときは、絶対何かの間違いだと思ったのですが、どうも何回計算してもこうなるし、沖縄県選挙管理委員会の情報を信用する限り、これは間違いないのです。
原因が何か気になるところです。
沖縄がらみの大事な判決でもでていたのか、と疑ったのですが、ちょっと探したところ、それもないようです。となると、ほかの原因を探さないといけません。
そこで、下の表を見てください。
なぜか沖縄県は、国民審査の投票率だけが飛びぬけて低いのです。市町村レベルで見ると、国民審査の投票率は軒並み10%を切っています。那覇市も41%です。衆院選の投票率は全国平均並なのに、国民審査だけなぜか投票率1%台なんていう場所もありました。他の都府県(情報が入手できたもの)では見られない傾向です。
そこで考えられるのは、沖縄県だけが「国民審査の投票用紙を比例代表の投票用紙と一緒に渡す」という方式をとらなかった可能性です。たとえば、国民審査だけちょっと離れた会場で行われていたとしたら、投票率は自然と低くなるでしょう。その場合、投票する人は国民審査をするエネルギーを費やす価値があると考えている人、すなわち裁判官について何らかの考えを持っている人の割合が高くなると考えられます。結果として、×をつける人が多くなり、上の表のような結果になった、というのが僕の推測です。
どうでしょう?沖縄だけ投票用紙の渡し方が違う、というのもなかなか考えにくい事態ではあります。実際違うとしたら、問題にもなりそうです(誰が気にするのか、ということはさておき。)。どなたかご存知の方、教えてくださ~い。
今日は、ちょっとおもしろい、沖縄県の国民審査結果を見てみることにします。
まず、下の表を見てください。
| 沖縄県 | 全国平均 | |
| ×の割合 | 14.62% | 7.82% |
すごい差ですよね。最初計算したときは、絶対何かの間違いだと思ったのですが、どうも何回計算してもこうなるし、沖縄県選挙管理委員会の情報を信用する限り、これは間違いないのです。
原因が何か気になるところです。
沖縄がらみの大事な判決でもでていたのか、と疑ったのですが、ちょっと探したところ、それもないようです。となると、ほかの原因を探さないといけません。
そこで、下の表を見てください。
| 沖縄県 | 全国平均 | |
| 小選挙区 | 62.35% | 67.51% |
| 比例代表 | 62.08% | 67.46% |
| 国民審査 | 43.27% | 64.87% |
なぜか沖縄県は、国民審査の投票率だけが飛びぬけて低いのです。市町村レベルで見ると、国民審査の投票率は軒並み10%を切っています。那覇市も41%です。衆院選の投票率は全国平均並なのに、国民審査だけなぜか投票率1%台なんていう場所もありました。他の都府県(情報が入手できたもの)では見られない傾向です。
そこで考えられるのは、沖縄県だけが「国民審査の投票用紙を比例代表の投票用紙と一緒に渡す」という方式をとらなかった可能性です。たとえば、国民審査だけちょっと離れた会場で行われていたとしたら、投票率は自然と低くなるでしょう。その場合、投票する人は国民審査をするエネルギーを費やす価値があると考えている人、すなわち裁判官について何らかの考えを持っている人の割合が高くなると考えられます。結果として、×をつける人が多くなり、上の表のような結果になった、というのが僕の推測です。
どうでしょう?沖縄だけ投票用紙の渡し方が違う、というのもなかなか考えにくい事態ではあります。実際違うとしたら、問題にもなりそうです(誰が気にするのか、ということはさておき。)。どなたかご存知の方、教えてくださ~い。
Posted by l.c.oh - 2005.09.13,Tue
今朝の日本経済新聞に、国民審査の結果が公表されました。
有権者数:102,985,195人
投票者数:67,446,971人
投票率:65.49%
ということで、全員信任です。
7%~8%前後ということで、大体いつもどおりのところに収まったのかな、という感じです。
何も知らずに投票する人は、①×を1つもつけない、②全部×というのが一般的ですが、そうしたくない人は、③右端か左端に×をつけることが多い、という心理学の考察があります。その点で、古田裁判官と才口裁判官の得票が多いのは、有意な差とは見がたいところです。 古田裁判官の得票には、彼が立案に関わったいわゆる通信傍受法がらみの×票が影響しているかもしれません。
堀籠裁判官の得票率の高さは謎ですねぇ。理由がいまいち見えません。
投票率65.49%というのはかなり高い数字ですが、衆院の小選挙区・比例代表よりは、2%ほど低くなってしまいました。有効投票数はおよそ64,530,000、無効が4%強あることを考えると、やはり国民審査の浸透は十分とはいえませんね。
| 裁判官 | ×の数 | ×の割合 | |
| 古田裁判官 | 5,176,491 | 8.02% | |
| 中川裁判官 | 4,999,414 | 7.75% | |
| 堀籠裁判官 | 5,165,435 | 8.00% | |
| 今井裁判官 | 4,928,957 | 7.64% | |
| 津野裁判官 | 4,926,451 | 7.63% | |
| 才口裁判官 | 5,081,726 | 7.87% |
有権者数:102,985,195人
投票者数:67,446,971人
投票率:65.49%
ということで、全員信任です。
7%~8%前後ということで、大体いつもどおりのところに収まったのかな、という感じです。
何も知らずに投票する人は、①×を1つもつけない、②全部×というのが一般的ですが、そうしたくない人は、③右端か左端に×をつけることが多い、という心理学の考察があります。その点で、古田裁判官と才口裁判官の得票が多いのは、有意な差とは見がたいところです。 古田裁判官の得票には、彼が立案に関わったいわゆる通信傍受法がらみの×票が影響しているかもしれません。
堀籠裁判官の得票率の高さは謎ですねぇ。理由がいまいち見えません。
投票率65.49%というのはかなり高い数字ですが、衆院の小選挙区・比例代表よりは、2%ほど低くなってしまいました。有効投票数はおよそ64,530,000、無効が4%強あることを考えると、やはり国民審査の浸透は十分とはいえませんね。
Posted by l.c.oh - 2005.09.13,Tue
ネット上には、国民審査の結果を見つけられなかったので、各都道府県選挙管理委員会発表の資料を基に手計算してみました。
19の道府県では、国民審査についての選挙結果の公表がなされていないようなので、それ以外の都府県が対象です。ということで、信用性はかなり低いですが、大体こんな感じになりそう、という雰囲気がつかめれば、とりあえず良しとしましょう。
母集団有権者数:66,090,032人
母集団投票者数:42,873,675人
投票率:64.9%
データが取得できなかった道府県は以下のとおりです。
北海道、岩手県、山形県、福島県、群馬県、埼玉県、千葉県、新潟県、長野県、富山県、京都府、岡山県、広島県、島根県、徳島県、高知県、大分県、長崎県、熊本県
グラフのY軸は、根元が7%で表示してありますので、ご注意を。
大体×の割合は7から8%の間に収まっているようですね。今回も得票率10%選手はでない雰囲気です。こんなに穴だらけじゃ、感想の言いようもないです。結果の公表はできる限りきちんとやっていただきたいものです。
19の道府県では、国民審査についての選挙結果の公表がなされていないようなので、それ以外の都府県が対象です。ということで、信用性はかなり低いですが、大体こんな感じになりそう、という雰囲気がつかめれば、とりあえず良しとしましょう。
| 裁判官 | ×の割合 | |
| 古田裁判官 | 7.95% | |
| 中川裁判官 | 7.67% | |
| 堀籠裁判官 | 7.94% | |
| 今井裁判官 | 7.57% | |
| 津野裁判官 | 7.58% | |
| 才口裁判官 | 7.83% |
母集団有権者数:66,090,032人
母集団投票者数:42,873,675人
投票率:64.9%
データが取得できなかった道府県は以下のとおりです。
北海道、岩手県、山形県、福島県、群馬県、埼玉県、千葉県、新潟県、長野県、富山県、京都府、岡山県、広島県、島根県、徳島県、高知県、大分県、長崎県、熊本県
グラフのY軸は、根元が7%で表示してありますので、ご注意を。
大体×の割合は7から8%の間に収まっているようですね。今回も得票率10%選手はでない雰囲気です。こんなに穴だらけじゃ、感想の言いようもないです。結果の公表はできる限りきちんとやっていただきたいものです。
Posted by l.c.oh - 2005.09.12,Mon
国民審査についてのエントリに一区切りがつき、勝手に肩の荷を降ろした気分になっているl.c.ohです。
全部読んだ方はあんまりいないかもしれませんが、出来立てのブログで一介の学生が書いた記事にもかかわらず、非常に多くの方に見ていただきました。ネットの持つ情報発信能力のすごさを改めて感じた一週間でした。
おそらくほとんどの方が、「忘れられた一票」からいらっしゃったと思われます。リンクを貼っていただいた長嶺様には改めて御礼を申し上げなければなりません。
僕が留守にしている間に、コメントも非常にたくさんいただきました。時間的な都合ですべてのコメントに個別に対応することはできませんが、考えさせられたり、喜んだり、大変励みになったことは確かです。レスがつけられなかった方々、すみません。
で、結果ですが、国民審査の票はメディアにほとんど出てきませんね。都道府県の選管にはデータが出ているところがあるようですが。どなたか、国民審査の結果が全国規模でわかるという情報をお持ちの方いらっしゃいませんか?
報道がないところを見ると、とりあえず、今回も罷免された裁判官はいなかったようです。これを裁判所に対する信頼の現われと見るべきか、関心の低さの現われと見るべきか、判断材料の不足と見るべきか。
全部読んだ方はあんまりいないかもしれませんが、出来立てのブログで一介の学生が書いた記事にもかかわらず、非常に多くの方に見ていただきました。ネットの持つ情報発信能力のすごさを改めて感じた一週間でした。
おそらくほとんどの方が、「忘れられた一票」からいらっしゃったと思われます。リンクを貼っていただいた長嶺様には改めて御礼を申し上げなければなりません。
僕が留守にしている間に、コメントも非常にたくさんいただきました。時間的な都合ですべてのコメントに個別に対応することはできませんが、考えさせられたり、喜んだり、大変励みになったことは確かです。レスがつけられなかった方々、すみません。
で、結果ですが、国民審査の票はメディアにほとんど出てきませんね。都道府県の選管にはデータが出ているところがあるようですが。どなたか、国民審査の結果が全国規模でわかるという情報をお持ちの方いらっしゃいませんか?
報道がないところを見ると、とりあえず、今回も罷免された裁判官はいなかったようです。これを裁判所に対する信頼の現われと見るべきか、関心の低さの現われと見るべきか、判断材料の不足と見るべきか。
Posted by l.c.oh - 2005.09.09,Fri
「国民審査特集その1」で紹介した長嶺超輝(みそしる)氏ウェブページ、「忘れられた一票 」が、今日の朝日新聞の夕刊に取り上げられました。今回の選挙では、国民審査に対する関心もとりわけ高いようです。これも司法制度改革の賜物でしょうか…
さて、今日は、2つほど簡単に判決を取り上げようと思います。
1つは研修医が「労働者」とされたもの、もう1つは水俣病患者を救済したものです。
研修医は「労働者」か?
関係した裁判官
中川了滋裁判官→「労働者」にあたる
今井功裁判官→「労働者」にあたる
この事件は、大学病院で研修をしていた医者が、労働基準法と最低賃金法にいう「労働者」に当たるかが問題になった事件です。もし研修医が「労働者」にあたるとなると、最低賃金は支払わなければなりませんし、労働時間などについても様々な決まりが適用されることになります。
医師になる試験に受かった人は、何年か大学病院のようなところで研修をするのが普通のようです。この研修医は、名目上「勉強」ということになりますので、ほとんど給与は支払われておらず、非常に長時間にわたって「研修」をうけることになっているようです(小説『白い巨塔』でも描かれていました。医師になったばかりの友人もいつもこれを嘆いています。一般的なのかどうかははっきりとはわかりませんが。)。
この事件で扱われた研修医のBさん(Bさんがすでに亡くなっているため、実際はその親が訴えました。)も、病院の休診日を除いて、毎日7時半から22時まで研修を受けていました。支払われていたのは、奨学金などの名目で、月6万円+当直手当1回1万円です。これは、最低賃金法の最低賃金よりずっと少ない額でした。
最高裁判所は、「この研修医は、病院の指図に従って『働いていた』のだから、労働者だ」と判断し、実際支払われていた額と最低賃金の差額を、研修医の遺族に支払うよう命じました。
評価(私見です)
最低賃金法にいう最低賃金は、文字通り「最低」で、一般的な給料に比べるとかなり低い額になっています。労働関係の法律の世界では、このような「最低」を法律で決めておくだけでは不十分だ、という意見が多く、標準的な場合を規制する、労働契約法という法律を作ろうという動きが非常に活発です(9月8日の日本経済新聞1面で取り上げられています。)。不十分だと言われる最低賃金法よりも低い賃金しか支払っていなかった病院が、差額の支払いを命じられたのは、当然だといえるでしょう。
病院側としては、「研修医は勉強しにきているのだから、働いているわけではない→労働者ではない」ということを言ったのだと思います。しかし、普通の会社では研修は賃金を払いながらするのが当たり前ですし、時間も場所も病院の指示に従って病院のために活動しているのに、働いているわけではない、というのも何ともおかしな話です。研修医だけ特別扱いする理由は、僕の考える限りではないように思います。
研修医制度については、今までも様々な批判がありました。この研修医制度に風穴を開けるものとして、この判決は重要な意味があると考えています。
水俣病患者の救済
関係した裁判官
津野修裁判官
いわゆる水俣病関西訴訟と呼ばれるもので、水俣病の裁判の中で最後に残った裁判です。
この事件では、時効や、国・熊本県の責任などが問題になりました。
時効
今回判決の出た患者は、有機水銀を流した会社を訴えたのがかなり遅かったので、民法の言葉をそのまま考えると、時効で賠償金が取れなくなってしまうものでした。この事件は不法行為に関するもの(不法行為については、昨日簡単に触れています。)で、相手が行為をしたときから20年、被害と加害者が分かったときから3年(どちらか早いほう)で時効になってしまいます(20年を「時効」と言ってしまうのは、実は正確な表現ではありませんが、細かくなるので割愛します)。時効は非常に強いもので、この数字自体を動かすことは困難です。水俣病は、体に水銀が蓄積して症状が現れてくるもので、症状が出てくるのがかなり遅い病気です。会社が有機水銀を流し始めたとき(または終わったとき)からみても、20年以上経ってから病気が明らかになる場合もかなりあるようです。そうなると、患者は救済されないことになってしまいます。しかし、病気の原因も加害者も明らかなのですから、何とか救済したい、という感情は、当然出てきます。
そこで最高裁判所は、20年のカウントを始める時期を動かす、ということをしました。20年のカウントのスタート地点を、会社が水銀を流し始めたときでも、流すのをやめたときでもなく、水銀が蓄積して症状が現れたときに設定しました。これによって、遅くなってから訴えた人も時効に引っかからず、救済が受けられるようになったのです。
水俣病訴訟では、最高裁判所は随分前から、時効を回避する方法を考えてきました。この判決は、このような流れの到達点といえます。
国・熊本県の責任
患者たちは、国と熊本県が、有機水銀の垂れ流しをとめる措置をとらなかった責任も追及しました。この判決で、最高裁判所は、国と熊本県の責任を正面から認めています。
国などを相手に責任を追及する裁判は、一般に非常に勝ちにくいと言われています。これは、裁判所が、国のどのような政策を採るかを決める権限を、かなり広く認めているためだと考えられます。これがいいか悪いかはそれぞれの価値判断ですが、この判決について言えば、国・熊本県の責任を認めたことは大きな意味があると思います。
水俣病関西訴訟については、http://www1.odn.ne.jp/~aah07310/index-j.htmlに詳しく載っていますので、興味のある方はどうぞ。
以上、簡単です(でもない?)が、今日はこんなところで。
以前書いた通り、10日・11日は、更新ができません(ネット環境が用意できたら、ごく簡単な更新はするかもしれませんが。)。僕の国民審査特集はこれでほとんどおしまいです。お付き合いくださった方々、本当にありがとうございました。
これからは、国民審査がメインのBlogではなくなると思います。でも、折に触れて、国民審査に関係のありそうなことを積極的に取り上げていこうと思いますので、ぜひごひいきに。
11日は国民審査の投票日です。みなさま、価値ある一票を投じてきてください。
衆議院選挙の投票も忘れずに!
さて、今日は、2つほど簡単に判決を取り上げようと思います。
1つは研修医が「労働者」とされたもの、もう1つは水俣病患者を救済したものです。
研修医は「労働者」か?
関係した裁判官
中川了滋裁判官→「労働者」にあたる
今井功裁判官→「労働者」にあたる
この事件は、大学病院で研修をしていた医者が、労働基準法と最低賃金法にいう「労働者」に当たるかが問題になった事件です。もし研修医が「労働者」にあたるとなると、最低賃金は支払わなければなりませんし、労働時間などについても様々な決まりが適用されることになります。
医師になる試験に受かった人は、何年か大学病院のようなところで研修をするのが普通のようです。この研修医は、名目上「勉強」ということになりますので、ほとんど給与は支払われておらず、非常に長時間にわたって「研修」をうけることになっているようです(小説『白い巨塔』でも描かれていました。医師になったばかりの友人もいつもこれを嘆いています。一般的なのかどうかははっきりとはわかりませんが。)。
この事件で扱われた研修医のBさん(Bさんがすでに亡くなっているため、実際はその親が訴えました。)も、病院の休診日を除いて、毎日7時半から22時まで研修を受けていました。支払われていたのは、奨学金などの名目で、月6万円+当直手当1回1万円です。これは、最低賃金法の最低賃金よりずっと少ない額でした。
最高裁判所は、「この研修医は、病院の指図に従って『働いていた』のだから、労働者だ」と判断し、実際支払われていた額と最低賃金の差額を、研修医の遺族に支払うよう命じました。
評価(私見です)
最低賃金法にいう最低賃金は、文字通り「最低」で、一般的な給料に比べるとかなり低い額になっています。労働関係の法律の世界では、このような「最低」を法律で決めておくだけでは不十分だ、という意見が多く、標準的な場合を規制する、労働契約法という法律を作ろうという動きが非常に活発です(9月8日の日本経済新聞1面で取り上げられています。)。不十分だと言われる最低賃金法よりも低い賃金しか支払っていなかった病院が、差額の支払いを命じられたのは、当然だといえるでしょう。
病院側としては、「研修医は勉強しにきているのだから、働いているわけではない→労働者ではない」ということを言ったのだと思います。しかし、普通の会社では研修は賃金を払いながらするのが当たり前ですし、時間も場所も病院の指示に従って病院のために活動しているのに、働いているわけではない、というのも何ともおかしな話です。研修医だけ特別扱いする理由は、僕の考える限りではないように思います。
研修医制度については、今までも様々な批判がありました。この研修医制度に風穴を開けるものとして、この判決は重要な意味があると考えています。
水俣病患者の救済
関係した裁判官
津野修裁判官
いわゆる水俣病関西訴訟と呼ばれるもので、水俣病の裁判の中で最後に残った裁判です。
この事件では、時効や、国・熊本県の責任などが問題になりました。
時効
今回判決の出た患者は、有機水銀を流した会社を訴えたのがかなり遅かったので、民法の言葉をそのまま考えると、時効で賠償金が取れなくなってしまうものでした。この事件は不法行為に関するもの(不法行為については、昨日簡単に触れています。)で、相手が行為をしたときから20年、被害と加害者が分かったときから3年(どちらか早いほう)で時効になってしまいます(20年を「時効」と言ってしまうのは、実は正確な表現ではありませんが、細かくなるので割愛します)。時効は非常に強いもので、この数字自体を動かすことは困難です。水俣病は、体に水銀が蓄積して症状が現れてくるもので、症状が出てくるのがかなり遅い病気です。会社が有機水銀を流し始めたとき(または終わったとき)からみても、20年以上経ってから病気が明らかになる場合もかなりあるようです。そうなると、患者は救済されないことになってしまいます。しかし、病気の原因も加害者も明らかなのですから、何とか救済したい、という感情は、当然出てきます。
そこで最高裁判所は、20年のカウントを始める時期を動かす、ということをしました。20年のカウントのスタート地点を、会社が水銀を流し始めたときでも、流すのをやめたときでもなく、水銀が蓄積して症状が現れたときに設定しました。これによって、遅くなってから訴えた人も時効に引っかからず、救済が受けられるようになったのです。
水俣病訴訟では、最高裁判所は随分前から、時効を回避する方法を考えてきました。この判決は、このような流れの到達点といえます。
国・熊本県の責任
患者たちは、国と熊本県が、有機水銀の垂れ流しをとめる措置をとらなかった責任も追及しました。この判決で、最高裁判所は、国と熊本県の責任を正面から認めています。
国などを相手に責任を追及する裁判は、一般に非常に勝ちにくいと言われています。これは、裁判所が、国のどのような政策を採るかを決める権限を、かなり広く認めているためだと考えられます。これがいいか悪いかはそれぞれの価値判断ですが、この判決について言えば、国・熊本県の責任を認めたことは大きな意味があると思います。
水俣病関西訴訟については、http://www1.odn.ne.jp/~aah07310/index-j.htmlに詳しく載っていますので、興味のある方はどうぞ。
以上、簡単です(でもない?)が、今日はこんなところで。
以前書いた通り、10日・11日は、更新ができません(ネット環境が用意できたら、ごく簡単な更新はするかもしれませんが。)。僕の国民審査特集はこれでほとんどおしまいです。お付き合いくださった方々、本当にありがとうございました。
これからは、国民審査がメインのBlogではなくなると思います。でも、折に触れて、国民審査に関係のありそうなことを積極的に取り上げていこうと思いますので、ぜひごひいきに。
11日は国民審査の投票日です。みなさま、価値ある一票を投じてきてください。
衆議院選挙の投票も忘れずに!
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