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Posted by - 2026.07.06,Mon
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Posted by l.c.oh - 2005.10.20,Thu

小川 洋子

刺繍する少女


 小川洋子の本も、僕が読もうと思っていた文庫本は最後になりました。
 短編集です。

 この本の雰囲気を一言で言うなら、解説にある「安倍公房の初期の短編とも同じ圏内にある超現実小説だが、それらより何歩か現実生活に近いところにある」というのが適当でしょうか。奇怪なものたくさん登場します。
 文章は相変わらず繊細でいい日本語を使っている感があります。ただ、内容として面白いか、というと、面白くなくはない、という程度ですね。話が大きく展開することもなく、結論が提示されるわけでもなく、淡々と話が積み重なっていく感じです。小川洋子の静謐な世界観が好きな方には、そこそこうけるのではないかな。

10月20日 通学中に読了
★★★☆☆
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Posted by l.c.oh - 2005.10.18,Tue


塩野 七生

ローマ人の物語 (21)

塩野 七生

ローマ人の物語 (22)

塩野 七生

ローマ人の物語 (23)


 『ローマ人の物語』の文庫版第8回配本です。
 第7回よりさらにマニアックな皇帝たちが登場します。

 扱われているのは、AD68年夏から97年秋までです。69年に立て続けに帝位についた3人の皇帝と、フラヴィウス朝と呼ばれる3人の皇帝、一応五賢帝に名を連ねているネルヴァ帝の7人の皇帝が登場します。この後のローマ帝国最大の繁栄期、いわゆる「五賢帝時代」につながる時代です。アウグストゥス創設にかかる、外見上元老院を立てながら実際は帝政という「デリケートなシステム」が崩壊の危機に瀕したAD69年と、それを立て直したヴェスパシアヌス帝が中心に描かれています。
 ちょっと切ないのは、ネルヴァ帝の扱い。五賢帝の一人として有名なこの皇帝ですが、統治はたったの1年半、やったことといえば、何もしなかったこと、といってもいいくらいにしか書かれていません。割かれているページも高々15ページ。「ネルヴァが五賢帝の一人に加えられた理由は、トライアヌスを後継者に選んだ一事のみ」という歴史家の言葉が象徴的です。高校時代に五賢帝の名前を一生懸命覚えたのはなんだったんだろう、と思ってしまいます。まぁ、五賢帝の存在を知ることで、こうやってローマの通史を読む軸になるのですから、それなりの意味はありますが、でも、学校の歴史教育の限界を感じますね。

10月17日 移動中に読了
★★★★☆
Posted by l.c.oh - 2005.10.17,Mon
 小泉首相が靖国神社を参拝しているようです。

 今回の参拝は、
1.一般の人と同じように、本殿に入らずに参拝すること
2.私人として参拝すると明言していること
3.参拝の方法(礼や拍手)について、靖国神社の方式に従わなかったこと
4.献花をしなかったこと
 などが特徴的です。
 憲法との関係で言うと、公的な参拝とはされないように意識した参拝といえるでしょう。

 裁判に関していえば、今回の参拝であれば、参拝が「私的」とされ、国の機関の行為とされない可能性が高く、憲法違反とはされにくいといえます(10月3日 と4日 に書いたエントリ参照。1番目の要件で切られる)。
 ただ、現在最高裁に継続している訴訟は、以前の参拝が対象になっているため、今回の参拝が判決に影響を与えることはありません。また、今回の参拝も、政治的公約の実施としてなされたこと等を重視するのであれば、憲法違反となる余地はあります。

 中国や韓国もおそらく強い反発を示すことでしょう。ちょっと心配です。
Posted by l.c.oh - 2005.10.15,Sat
 更新が滞りがちですみません。
 少し前に書いた本の執筆の関係で、頭が経済モードに入っていて、なかなか法律モードになってくれないのです。

 さて、全然関係ない話。
 アメブロにはトラックバックステーションという、ネタ提供サービスがあるのですが、その今週のお題が「常識」です。そこで思い出したのが、「ご当地の踏み絵 」(←作成者である永浜敬子さんのページのトップに飛びます)。これは、「ビバ★いなかもん! 」という本にもなっていて、Matthew's BestHit TVのなまり亭で見かけたことのある方も多かろうと思います。「ご当地の常識」が集まってます。

 で、栃木県人である僕がヒットしたのが↓
「いじやける」を東京の人に説明するのは難しいので、「いじやける」という状態を説明すること自体にいじやける。
 大学で東京に出て、「大事?(=大丈夫?)」も「洗濯物をこむ(=取り込む)」も通じずに衝撃を受けた経験がありますが、まあ、「いじやける」が最強でしょうね。ちなみに、発音するときは「いじゃける」に限りなく近くなります。

 このページ、非常に面白いのですが、難点は他県の話はほとんどわからない点でしょうかね。僕のブログをのぞいてくれてる元大分県人やら和歌山県人やら三河人やらその他多くの方々につながっていくと面白いと思うんだが…
Posted by l.c.oh - 2005.10.15,Sat


塩野 七生

ローマ人の物語 (17)

塩野 七生

ローマ人の物語 (18)

塩野 七生

ローマ人の物語 (18)

塩野 七生

ローマ人の物語 (20)


 塩野七生のライフワーク、ローマ人の物語の、文庫版第7回配本です。
 歴史の教科書ではほとんど登場しない(ネロ帝のキリスト教弾圧の話くらい)4人の皇帝を扱っています。

 扱われている皇帝は、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロの4人で、カエサルから数えると3番目から6番目までの皇帝です。彼らは、歴史の分野では古くからひどい皇帝だったという評価が定説化していました。
 塩野氏は、「悪名高き皇帝たち」というサブタイトルからも想像できるように、彼らを完全な悪帝とは考えていません。ローマ史上最悪の皇帝として知られるネロですらも、(皇帝としてはともかく)人間としては愛すべき部分のある人物として描かれています。
 この本が扱う時代の最大の参考文献は、タキトゥスの『年代記』だそうで、この本は4人の皇帝をくそみそに書いているそうです。塩野氏は、『年代記』を重んじながら、タキトゥスが後世の歴史認識に与えた影響から、タキトゥスがなぜくそみそに書いたのかまで丁寧に論じています。
 小説家の書いた論説文(的なもの)ですので、非常に読みやすいのですが、分析や洞察は下手な論評よりよほどしっかりしているように感じました。論文としてみると、過度の一般化などが目立つ部分は多いのですが、文章の面白さ、わかりやすさのために瑣末な点は切り捨てた結果でしょう。
 とりあえず、ローマ史の導入として、とても面白い本です。できれば、第1巻から読むことをおすすめします。

10月14日 自宅で読了
★★★★☆
Posted by l.c.oh - 2005.10.11,Tue
 死刑について、重要な最高裁判所の判断を忘れていたので、懲りずに書くことにします。

 死刑は普通、憲法36条との関係で議論されます。

憲法36条
 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。


 法の解釈で、死刑が「残虐な刑罰」にあたるかが問題になるのです。

 これについて、最高裁判所は、憲法施行間もない昭和23年に有名な判断を出しています(昭和23年3月12日大法廷判決憲法判例百選 (2) 262頁。本稿は、この判例百選の解説に依拠しています。)。
 この判決は、冒頭で、「生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は…まことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑罰である。」として、死刑を否定するような論調で始まりますが、結論としては死刑を合憲と判断しています。人一人が国家によって確実に死ぬのですから、それなりの根拠(判例百選の解説は、「反論の余地がないほど合理的で明確な根拠が要求されよう」としています。)が必要になりますが、最高裁判所は、根拠として、1.「死刑の威嚇力によ」る「一般予防」、2.「特殊な社会悪の根元を絶」つこと、3.国民感情(3.は主に補足意見)の3つをあげています。

 以前どこかで書いたかもしれませんが、日本を含め憲法は、個人の尊重と国家への不信をその一番基本においています。そこで、国家により個人が侵害される死刑のような場合には、慎重な態度がとられています。そこで、死刑の存続には、それを残すことが必要やむをえないという理由が必要です。その理由として、最高裁判所は上記の3つをあげたと言えます。

 まず1については、死刑に威嚇力による一般予防効果(=死刑になるぞ、と国民を脅すことで、犯罪を抑える力)があるかどうかはあまりはっきりしません。国内外含め、特に統計的な手法を用いて多くの研究がされていますが、多くは死刑による抑止力なし、という結論に至っているようです。「数多くの研究にも関わらず、死刑の抑止力は証明されていないことは、少なくとも確かである(判例百選II 263頁)」というのが現実のようです。したがって、これは死刑存続論の根拠にはなりにくいといえます。

 2については、最高裁判所はこれを死刑存続論の根拠として持ち出しています。
 一方、判例百選の解説は「無期刑によって目的を達しうる」としか述べていません。
 しかし、「無期刑によって目的を達しうる」という主張にはちょっと疑問があります。「特殊な社会悪の排除」という観点から見ると、無期刑に死刑と同等の効果を求めるためには、仮出獄なしの無期刑(どんなことがあっても死ぬまで刑務所から出られない)を用意する必要があります(アメリカなどでは例があるようですが、今の日本にはありません。)。このように刑務所で生殺しの状態で生きながらえるのと、死刑になるのとでは、どちらが「残虐な刑罰」であるか、微妙ではないかと僕は思います。刑務所の収容人員の限界や、財政的な問題もあります。このように考えると、「無期刑でいいじゃん」という主張は死刑廃止論の根拠としても弱いと思います。
 「特殊な社会悪の排除」が死刑存続論の根拠になるかどうかは、それを確保する手法で死刑よりも残虐でない刑罰が考えうるか、という点にかかってきます。ただ、代替的な案が考えられており、それと死刑が(僕が考えるところ)あまり差がないと思われる以上、積極的に死刑を肯定する根拠としては、強く主張しにくいところです。

 3.の国民感情というのは、扱いが非常に難しいものです。世論調査によれば、死刑存続を支持する声が強いのは確かなようです。ただ、法律家たるもの、国民の多数決に従えばいいというものではありません。確かに、国民の多数意見というのは最も重要な道しるべになります。しかし、歴史的に多数派による少数派の侵害の例が非常に多かったこと(枚挙に暇がありませんが、時代的に近い例で言えば、一応民主主義国であったドイツでナチスがユダヤ人になしたことを思い出していただくとよいでしょう)の反省に基づいて、憲法は少数派の人権保護も重要な役目としています(この項との関連で言うならば、被告人の人権保護になるでしょうか。)。その担い手は、やはり法律家なのだと僕は思っています。
 要は多数派と少数派の間でどのような位置を自分が取るかのバランス感覚の問題だと思いますが、このように考えると、死刑存続を支持する世論が強いというだけでは、死刑存続論の法的な根拠にはなりにくいと思います。

 結局、昭和23年判決の最高裁判所の論理は、死刑存続を認める根拠としては弱い、というのが僕の結論です。


 この判決以後、死刑囚の冤罪事件の発生や国際的な死刑廃止の潮流の中で、世論においても死刑廃止論が非常に強く主張された時期がありました。
 一方最近は、犯罪被害者の感情を法的に評価しようという新しい視点も提示されており、自分の判断にどのように反映させるべきか苦慮しています。
 例によって、判断は留保です。
Posted by l.c.oh - 2005.10.09,Sun
 ゼミで金融に関する本を書いているのですが、今日その原稿を一応脱稿しました。
 ゼミの議論を通してまだまだ手を加えなければならないのですが、一応の形になったことで、なんとなく肩の荷が降りたような気分がしています。

 ちなみに、本の発行は恐らく来年度になります。そのころまでこのブログが存続している保証はないのですが、続いていたら皆様にお知らせします。
Posted by l.c.oh - 2005.10.07,Fri

柳 美里

石に泳ぐ魚


 柳美里の「話題作」。柳美里の本は、『家族シネマ』と『ゴールドラッシュ』しか読んだことがないのですが、それらと同じく、強い負のエネルギーが内心に向かって凝縮されたような本という印象をうけました。

 この本は、戦後日本で、文芸作品として初めて出版の差し止めが認められた本です。主人公の親友として登場する「朴里花」のモデルとされる人が、自分の顔面の描写等について名誉毀損の訴えを起こして認められたためです。
 この裁判は、作者が日本を代表する作家であったこと、事前差し止めという厳しい措置が地方裁判所レベルから一貫して認められたことなどから、法律の世界では非常に話題になった裁判です。今回文庫化された本は、裁判の過程で提出された、顔面の描写等をマイルドにした改訂版です(帯にある「言葉は葬られた」というのはそういうことです。)。
 出版の差し止めについては、憲法や裁判所は非常に慎重です。なぜなら、出版されないということは世間の目に触れないということになるので、 いいか悪いか批評する余地がなくなってしまうからです。すなわち、国家による言論統制につながる可能性があります(明治時代にはそうなっていました。)。憲法の保障する表現の自由は、この言論統制を防止するという意図もあるのです。
 そこで、出版差し止めが認められるためには、いったん公表されてしまうと、被害者に重大で回復困難な被害が生じる場合に限られます。この本では、プライバシーの侵害と表現の自由がぶつかったわけですが、裁判所はプライバシーを勝たせ、出版差し止めを認めました。表現の自由とプライバシーとは、ある意味、一般的な利益と個別的な利益の関係に立ちます。裁判所は、個別的な利益をより重視した、と見ることができそうです。
 裁判所がした議論はある程度説得力がありますし、事前差し止めに関する裁判所の論理から演繹的に結論を出すとすると、結論にも納得がいくところです。ただ、一読者としてみると、削除された部分がなくなってしまったことは、この本の価値を少なからず損なっているようで、残念でもあります。

 本自体の話をほとんど書いていませんね。全体に、重い雲に塗りこめられた空のような小説です。構成や日本語はよくできているので、読みにくい本ではありませんが、法的な議論もあいまって、いろいろ考えさせられる小説でした。

10月7日 出先で読了。
おすすめ度:★★☆☆☆
Posted by l.c.oh - 2005.10.06,Thu
 小泉首相の靖国神社参拝違憲訴訟で、高松高等裁判所の判決がでました(下はNIKKEI NETの記事)。
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20051005STXKD031805102005.html

 高松高等裁判所は、3.憲法判断回避の準則により、憲法判断を下しませんでした(詳細については、10月4日のエントリを参照してください。)。

 これによって、9月29日の東京高等裁判所判決、9月30日の大阪高等裁判所判決、10月5日の高松高等裁判所判決と、高等裁判所レベルで完全に3つに分かれました。高松高等裁判所で判決を受けた原告は上告をするようなので、最高裁判所の判断が非常に注目されます。ただ、10月4日のエントリでも若干言及したように、特に最高裁判所は憲法判断回避の準則を忠実に守る傾向が強いので、高松高等裁判所の判断と同様の判断が出る可能性が高いでしょう。

 
Posted by l.c.oh - 2005.10.05,Wed
 今日知った、明日使えない無駄知恵。

 「bankruptcy(破産・倒産)」の語源は壊れた机らしいです。
 そもそもはイタリア語のbanca rotta(机 壊す)に由来するもので、商人が破産すると債権者が怒って店に押しかけ、机(=店。中世では。)を壊すということから、破産になった模様。
 bankruptcyという単語を見ると、ついbank(銀行)を思い出してしまうのは僕だけではないと思いますが、bancaは両替机としてbankの語源にもなっている単語のよう(http://www.boj.or.jp/oshiete/history/11100004.htm )なので、この連想もあながち外れてもいなかった、とちょっと楽しくなりました。ちなみに今日のイタリアでは、bancarottaというと、破産犯罪(整理屋とか?)を指すようです(http://www.takaoka.ac.jp/zatsugaku/038/sakuramoto01.htm )。
 倒産と言えば、「北の国から2002 遺言」の頭のシーンを思い出します。農協が牛を代物弁済として取り立てていくシーン、牛がいなくなって閑散とした旧草太兄ちゃんの牧場、というのは、まさにbank ruptと店を壊された商人の悲哀に通じるものがあります。

 ついでにもう1つ。ドイツ語では倒産は「konkurs」と言い、音楽の世界などでよくあるコンクールと同じ単語だそうです。状態としては、限られたものをめぐって多くの人が争っている状態を指すようです。イメージがかなり違うので驚きました。

 フランス語や中国語では何というんでしょうね?ちょっと気になります。
僕が(一部)書いた本が出版されました
yanagawasemi
柳川範之+柳川研究室[編著]
これからの金融がわかる本
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