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Posted by - 2026.07.07,Tue
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Posted by l.c.oh - 2005.10.04,Tue

昨日の続きです。


3.憲法判断はなるべく避けるべきだ、という準則に引っかからないか


 裁判所が判断をするにあたって、従うべきルールがいくつかあります。その中に、「憲法判断回避の準則」と呼ばれるものがあります。これは、いくつかのルールの集合体なのですが、よく問題になるのは、「裁判所は、…もし事件を処理することができる他の理由が存在する場合には、その憲法問題には判断を下さない」というルールです。
 学者の皆さんの間では、このルールが絶対的なものかどうかについて論争があります。ルール自体を否定する方から、絶対に従わなければならないとする方までさまざまですが、基本的にこのルールを尊重しつつ事情や環境によってはこのルールを破ってもよいという考え方が最も賛同者が多いようです。
 これに対して裁判所は、このルールを絶対視する傾向が強かったと言われています。例えば、自衛隊が憲法違反かどうかなど、このルールにより遮断され判断が下されていない憲法問題はたくさんあります。


 今回のケースでは、信教の自由に対する侵害はないとして、損害賠償は認められませんでした。つまり、首相の靖国神社公式参拝が憲法違反かどうかは判断しなくても、損害賠償事件を処理することはできた、ということです。今までの小泉首相参拝の損害賠償事件のほとんどは、「損害賠償はどっちにしろ認められないのだから、参拝が憲法違反かどうかは判断する必要はない」という理由で、憲法問題に踏み込まないものが多かったようです(判決文が入手できなかったので何とも言えませんが。)。また、今回の事件の地裁判決も、同様の理由で憲法判断には踏み込んでいないようです。
 大阪高等裁判所の判決は、(合憲にせよ違憲にせよ)憲法判断をしたこと自体で、なかなか興味深い判断と言えるでしょう。


 「憲法判断回避の準則」は、日本国憲法が付随的違憲審査制をとっていることが根拠とされます。付随的違憲審査制とは、憲法判断は問題になっている事件の解決に必要な限度でのみ行うというもので、アメリカの制度に倣ったものです。「憲法判断回避の準則」自体も、別名「ブランダイス・ルール」といわれるように、アメリカの裁判官が定式化し、アメリカで普及してきたものです。
 「付随的違憲審査制→憲法判断回避の準則」という論理は現行憲法においては非常に説得的です。ただ、最近の司法制度改革の流れの中で、「裁判所の持つ情報提供作用→国民の法的予測可能性の向上」という視点も重視されてきているように僕は感じています。また、憲法判断回避の論理も、法律学の形式性を感じさせ、国民の理解を得るのは難しいと思います。
 裁判所、特に最高裁判所は、「憲法判断回避の準則」にあまりに縛られることなく、積極的に憲法判断を下していくべき社会状況になってきているのではないでしょうか。


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Posted by l.c.oh - 2005.10.03,Mon
 大学の講義が始まりました。ちょっとばかり忙しくなるので、毎日の更新は厳しそうです。
 ちまちまとできるだけは更新していくつもりですので、興味を持ってくださる方はときどき覗いてやってください。
Posted by l.c.oh - 2005.10.03,Mon
 事実については、おそらく説明の必要がないでしょう。小泉首相が靖国神社を繰り返し参拝したことが、憲法に違反するかが問題になった事件です。

 靖国裁判においては、違憲判決をとるためにハードルが2つ、さらに、裁判所が憲法についての判断を出してくれる前提として1つハードルがあります。前者は、
  1.内閣総理大臣の参拝が公的なものであるか
  2.これが憲法に違反するか
というもので、後者は
  3.憲法判断はなるべく避けるべきだ、という原則に引っかからないか
というものです。1.と2.は憲法の解釈という実体法の問題、3.は憲法訴訟という手続法の問題という整理ができます。
 以下、順にみてみましょう。


1.について

 まずは、憲法の規定です。

憲法20条3項
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない


 ここで宗教的な行為が禁止されているターゲットは、「国及びその機関」です。言い方を変えれば、公的な機関が宗教的な行為をすることだけが禁止されています。もし個人であれば、宗教に関することも基本的に自由にできます。私的な行為であれば、憲法には引っかからないのです。
 そこで、首相が靖国神社に参拝することが、「国の機関」が行った行為だと言えるかが問題になってきます。首相の完全に個人的な宗教的行為であれば、問題にはなりません。例えば、首相が近所の神社に家族と初詣に行ったからといって、憲法違反にはならない、というのは、常識的な考えだといえるでしょう。「国の機関」が行ったかどうかは、参拝が、内閣総理大臣の仕事として行われた(いわゆる公式参拝)かどうかによります。

 小泉首相は、参拝が公的なものであるか私的なものであるかを明言してはいませんでした。しかし、大阪高等裁判所は公的な参拝であるとしました。これは、高等裁判所のレベルでは初めての判断です。理由は、公用車を使い秘書官を連れていたこと、公約の実行としてされたという点で政治的な意図が強いことなどが挙げられています。
 なお、前日(9月29日)に出された東京高等裁判所の判決では、献花のお金は私費から出ていること、終戦記念日を避けているため政治的な意図は小さいことなどを根拠に、個人的にしたことだから「国の機関」が行ったことではない、として、憲法に違反しないという判断をしています。この点について、最高裁判所の判断はまだありません。


2.について

 もう一度憲法の規定を見てみましょう。

国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない

 憲法をそのまま読むと、国が宗教に関係することが全くできないように思えます。しかし、国と宗教との関係を完全にゼロにすることは不可能です。例として私立学校への補助金を考えてみると、国と宗教との関係をゼロにするために、上智大学のように宗教団体が作った学校に補助金を出さないとなると、今度は憲法14条(法の下の平等)違反になってしまいます。
 そこで、憲法で禁止されているのは、国と宗教との関わりがある程度濃いものだけだ、と考えられています。どの程度までが禁止されているかは学者の間でも争いがあります。最高裁判所は、国がした行為の「目的が宗教的意義をもち」、その行為の結果、特定の「宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような」ものが禁止されていると考えています(津地鎮祭事件大法廷判決、昭和52年7月13日)。目的と効果を考えているので、「目的・効果基準」と呼ばれます。例えば、この津地鎮祭の場合、地鎮祭は社会の習慣になっているという意味で「目的が宗教的意義をもつ」わけではないし、取り立てて神道の普及にプラスの影響を持たず、他の宗教を弾圧する効果もない、ということで、憲法違反にはされませんでした。

 そして今回のケースです。大阪高等裁判所はまず、靖国神社の儀式の形式に従って参拝がなされた点などから、目的を「宗教的意義」があるものと認めました。さらに、国内外の強い批判の中で、強固な意思に基づいて参拝している点などをとらえ、国と靖国神社のみに特別の関係があるような印象を与えたとし、効果が特定の「宗教を助長、促進」するものだと認めました。結果として、小泉首相の靖国神社参拝は憲法違反だという結論になったわけです。
 今までの裁判ではそもそも②の点についての判断に踏み込んだものはほとんどない(1.や3.で切られてしまって、この判断までたどり着かないものが多い)のですが、憲法違反(またはその疑いが強い)とする判決は高等裁判所のレベルでも結構出ていました(中曽根首相の公式参拝について、やはり大阪高等裁判所が平成4年に同様の判決を出しています。)。ただ、小泉首相の参拝については、今まで高裁レベルで2.の判断をしたものがなかったので、今回メディアに大きく取り上げられたのです。
 2.についても、最高裁判所の判断はまだありません。判断が待たれるところです。


結構な分量になってしまったので、今日はこれくらいにしましょう。3.についてはまた明日。
Posted by l.c.oh - 2005.10.02,Sun
 今日から、僕の所属するオーケストラの練習が始まりました。

 プログラムは
  シャブリエ 狂詩曲「スペイン」
  プーランク 組曲「模範的な動物たち」
  ドビュッシー 「牧神の午後」への前奏曲
  ラベル ダフニスとクロエ 第2組曲

 フランスもの4曲ですが、いや、難しい。
 シャブリエはリズムがとれない、プーランクは調性が複雑すぎて音程がわからない、ドビュッシーは音質が作れない。ダフ・クロに至っては、指は回らないわ、音程は取れないわ、リズムに弓がついていかないわ、音質はうまく作れないわで、もうメタメタです。本番は1月ですが、それまでに何とかなるのか、今から心配です。

 演奏会の詳細については、こちら→http://www.globalphil.com/
 是非聞きに来てください!と言いたいところですが、今の状況では人は呼べません…
Posted by l.c.oh - 2005.09.30,Fri
まず1つ目。
 小泉首相の靖国参拝は違憲・大阪高裁判決→NIKKEI NETの記事
これについてはちょっと詳しく書いてみたいのですが、この土日はちょっと時間がないので、早くて日曜の夜以降になります。


2つ目。
 「一太郎」訴訟、松下が逆転敗訴・「特許は進歩性なく無効」 →NIKKEI NETの記事
特許もおいおいまとめてみたいテーマですが、これも後ほど。

先延ばし。易きに付いてしまっている。よろしくないのはわかっているのですが…
Posted by l.c.oh - 2005.09.30,Fri

恩田 陸

MAZE[メイズ]


 中に入った人が数多く「消失」するという言い伝えのある、アジアの西の果てに立つ矩形の建物。この建物の「人間消失のルール」を解明していく長編ミステリーです。

 小説としてはある程度楽しめました。畳み掛けるように展開する上、超常現象的なことが起こったりして、気持ち悪くて途中でやめられなくなり、結局一気に読んでしまいました。小川洋子モードになっていた僕の脳みそにはちょっとばかり刺激が強かったのかもしれません。
 ミステリという括りで見ると、いわゆる「解答編」には3分の1くらいしか納得がいっていません(理解不能ではなく、気に食わないという意味です。)。ただ、最後の5ページほどが、食後のミントのように効いていて、読後感は少しだけ爽やか。

9月29日 自宅で読了。
おすすめ度:★★☆☆☆
Posted by l.c.oh - 2005.09.29,Thu

小川 洋子

余白の愛


 初期の長編ですが、文章はかなり洗練され、雰囲気もかなり出来上がっている印象です。
 内容については、帯の「記憶と現実が溶け合うとき」というのが本書のテーマを端的に突いていると思うので、詳しく触れる必要はないでしょう。

 この小説の主人公は、突発性難聴という耳の病気を抱えています。この小説に限らず、小川氏は「病気」というものに強い関心を持っているようで、『完璧な病室』の弟や、『やさしい訴え』のチェンバロ製作者や、その他たくさんの病気の人が小説に登場します。『博士の愛した公式』の博士も確か病人です。で、小川氏はこの病との距離感が素敵です。正面の近い位置からぼんやりと眺めている感じで、負の感情も正の感情もあまり介在していない気がします。何というか、できてしまったものでも取り除くべきものでもなく、「ただそこに存在するもの」として捉えているような印象を受けます。うまく表現できませんが、個人的に好みにあった距離です。

 もう一人の重要な登場人物のYは速記者です。小川氏の小説には一風変わった職業の人も多く出てきます。今回読んだ一連の本でも、ロシア語の翻訳家から博物館技師まで、実にさまざまな職業の人が出てきますが、いわゆるサラリーマンは全くと言って良いほど登場しません。小説になりにくいのかもしれませんが。

 『余白の愛』自体の話をほとんどしていませんね。面白かったと思います。小川氏の静かでひんやりとした世界観が好みに合う方にはおすすめします。

9月29日 自宅で読了
★★★★☆
Posted by l.c.oh - 2005.09.28,Wed

小川 洋子

寡黙な死骸 みだらな弔い


 連作短編集です。連作短編集というものはあまり読まないのですが、いや、これは面白かった。

 全体を貫くテーマは「弔い」です。短編に登場する人たちは、それぞれの形で、失ってしまったとても大事なものを静かに弔っています。
 さらに、それぞれの短編が、微かな接点によってネットワーク状に絡んでいきます。接点は洋菓子屋であったりベンガル虎であったり、うっかりしていると見逃してしまいそうな微かなものです。ネットワークは拡大していき、最終的に「完結」します。

 まず、個々の短編のクオリティが高い。ちょっと目をひく設定から登場人物の心の動きまで、高々20ページに過不足なく収まっています。相変わらず日本語はきれいですし。背景は静かですが、『やさしい訴え』のようなしっとりとした静けさではなく、雑踏がわずかに聞こえるような街のやや乾いた静けさのような気がします。これが語られる物語によくマッチしています。
 加えて、連作短編として、さらには一編の長編小説として読むこともできて、これも非常に楽しめる小説ではないかと思います。僕は、1回目は短編集として、2回目は長編小説として、2回とも小説を読む楽しさを味わいながら読みました。
 おすすめします。

9月28日 自宅で読了
評価:★★★★★

Posted by l.c.oh - 2005.09.27,Tue
 裁判には、民事訴訟・刑事訴訟・行政訴訟があるのをご存知でしょうか?
 このなかで、行政訴訟はちょっと特殊な形態なので、今日は民事訴訟と刑事訴訟について軽く書いてみたいと思います。

 例として、Aさんが、Bさんの運転する車に轢かれて大怪我を負った場合を考えてみます。
 この場合、Bさんが訴えられる可能性としては、2つの種類があります。
 1つ目は、Aさんが、治療費などの賠償を求めてくる場合。Aさんが賠償を求められる根拠になるのは、不法行為という民法の規定(709条)ですので、これは民事訴訟になります。
 2つ目は、国がBさんに刑罰を課するべきと訴える場合。この根拠になるのは、普通は、刑法の業務上過失傷害罪(211条)ですので、これは刑事訴訟になります。

 民事訴訟と刑事訴訟では扱いが大きく異なります。その根本的な違いは、民事訴訟が一般人同士の争いに裁判所が決着をつけるものであるのに対し、刑事訴訟は国が一般人に刑罰という不利益を負わせるのが正しいのかを判断するものだ、という点にあると考えられます。
 結果として、訴訟の目的も違ってきます。民事訴訟は結局のところ、争っている人たちが納得すればそれで良いわけです。上の例で言えば、BさんがAさんに100万円払うということでお互いが納得したのであれば、別に裁判所が判断する必要はないのです。
 一方、刑事訴訟ではそうはいきません。やくざの親分Bさんの身代わりに子分のCさんが捕まったとき、お互いが納得しているからといって、Cさんを刑務所に入れるわけにはいかないでしょう。刑事訴訟では、本当は誰が何をしたのかを明らかにすること(真実発見)が非常に重要になってきます。さらにこれは、刑罰という非常に大きな不利益を一方的に負わせるものなので、真実発見のプロセスは極めて慎重にする必要があります。

 具体的な違いは本当に挙げきれないくらいあります。
 まず、裁判所の中で扱う部署が違います。最高裁判所はちょっと違いますが、地方裁判所と高等裁判所では、民事訴訟は民事部、刑事訴訟は刑事部が扱います。裁判官も、民事ばっかりやる人と刑事ばっかりやる人がいます。
 訴える人も違います。民事訴訟では、誰が誰を訴えてもかまいません。一方刑事事件では、訴えることができるのは検察官だけです。被害者がどれだけ相手を罰してほしいと思っても、検察官が起訴をしない限り、裁判にはなりません。

 裁判のやり方ついても非常に多くの違いがありますが、特徴的なのは「自白」の扱いです。
 民事訴訟では、相手が主張したことに対してもう一方が正しいと認めた場合(これを民事訴訟では「自白」といいます)には、裁判官は事実がその通りだったとしなければいけません。上の例で言えば、Bさんが「Aさんが飛び出してきた」と主張してAさんがそれを認めた場合、裁判官は「Aさんは飛び出してなんかいない」と思っても、Aさんが飛び出したものとして判断しなければなりません。
 一方、刑事訴訟では、検察官が「Cさんがやった」と主張したときに、いくらCさんが「自分がやった」と言っても(これが刑事訴訟で言う「自白」です)、それだけで有罪にすることはできません(憲法38条3項)し、裁判官は「Cさんはやってない」と判断することも可能です。自白を含めたさまざまな証拠によって、裁判官が真実かどうかを判断します。

 裁判を終わらせるときにも、民事訴訟では争っている人同士が勝手に裁判をやめることができます。刑事訴訟では、検察官がもういいやと思っても、真実が明らかになるまで裁判をやめられないのが原則です。

 他に、刑事訴訟に特徴的なものとして、「疑わしきは罰せず」(法律の世界では、「疑わしきは被告人の利益に」と言われます。)という考え方があります。刑罰を負わせるのは、本当に被告人(訴えられている人)が犯罪をしたことが疑いない場合のみにしようという考えです。自白もそうですが、歴史的に、国家が刑罰に名を借りて激しい人権侵害を行ったことに対する反省に基づいています。特に日本では、明治期に治安維持法による思想統制が厳しく行われたことなどから、憲法で、被告人の人権保護を詳細に定めています。(ただ、この「被告人の人権保護」一辺倒の考え方は、特に最近維持が難しくなってきています。)

 とまあ、こんな風に、民事事件と刑事事件には大きな違いがあるのです。


 メディアの報道などを見ていると、この違いがあまり意識されていないことが多いように思うので、ちょっと書いてみました。常識でしたかね。
Posted by l.c.oh - 2005.09.26,Mon

小川 洋子

完璧な病室


 出世作「揚羽蝶が壊れる時」を含む初期の短編4編が収録されている作品集です。

 3番目の「冷めない紅茶」を除くと、全体的に小難しい感じ。もっとえらそうなことを言うと、肩に力が入っている「ブンガクサクヒン」っていう感じ。特に、海燕新人文学賞をとった「揚羽蝶が壊れる時」は、読みやすい小説ではないと思います。
 今日は、この本の後に読んだ『やさしい訴え』がヒットしてしまったので、比較してしまうと、どうしてもいまいちの印象になってしまいます。

9月26日 自宅で読了
おすすめ度:★★☆☆☆
僕が(一部)書いた本が出版されました
yanagawasemi
柳川範之+柳川研究室[編著]
これからの金融がわかる本
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