法制審議会の出した要綱の詳細については、まだ法務省のHPには掲載されていません。近々でるでしょう。
理論的にも感情的にもいろいろ難しい問題を抱えている部分ですし、個人的に整理もついていないところなのでコメントは差し控えますが、一応日弁連の意見にリンクを張っておきます。
…正月企画が企画倒れになったのは、公開できないくらいひどいからです。すみません。
一応生きておりますので。
先日いただいたコメントを読んでいて、ふと疑問に思ったことがあるので、書いておきます。
動産・債権譲渡特例法(「動産及び債権の譲渡の対抗要件に関する民法の特例等に関する法律」。長っ)の登記原因は、契約の法形式を反映しているのか、ということです。
譲渡担保権の設定に際して、この法律を使おうと思うと、裁判の時点では、譲渡担保権者としては、担保権として認定して貰う必要があります。一方、譲渡担保権は、他の担保手段が尽きた時に使われるもの、という意識があるらしく、譲渡担保権設定者は譲渡担保権が設定されたという公示がされることを好まないといわれています。つまり、登記原因を「譲渡担保」ではなく、「売買」とするインセンティブがあり、不動産譲渡担保については判例上も、登記原因から形式的に契約の性質決定をするのではなく、実質的に判断するという扱いが定着しています。
動産・債権譲渡特例法にはもう1つ使い方があって、特に集合債権を証券化する際に対抗要件具備を簡略化するという目的もあります。詳述は避けますが、この場合は、組成される証券のリスク限定のため、買受人としては、裁判の時点で間違いなく売買であったと認定される必要があります(いわゆる「真正売買」の問題)。一方、形式的には証券化であっても、実質的には譲渡担保である場合もあり(特に会社更生で、更正担保権として扱われるか否かについて大きな差が生じます)、これについても、契約の性質決定については、形式的ではなく、実質的に判断されています。
端的に言えば、動産・債権譲渡特例法には、相互に流動的な2つの法形式について異なった要求が混在しているように思うのです。
一般的には、譲渡担保は集合動産、証券化は集合債権を目的物とするので問題はさほどないような気もするのですが、集合債権譲渡担保も集合動産の証券化も十分にあり得るので、不動産登記と同様に、実質的な契約の性質決定の問題は残っているように思います。
最近は、譲渡担保に対する負のイメージが徐々に後退しているという指摘もあり、こと集合動産・債権の譲渡担保については、有効な資金調達手法として積極的に活用されていると聞いたこともあります。だとすれば、譲渡担保なのに登記原因を「売買」とするインセンティブは、譲渡担保側では減少していると見ることもできそうです。しかし、証券化側では更生担保権としての扱いを潜脱するために、上記インセンティブは残っているでしょう。
なにやら内容が混乱してきていますが、要は、動産・債権譲渡特例法上の登記原因には、不動産登記の登記原因(売買or譲渡担保)以上に信用できるのか、それとも同程度しか信用できないのか、ということが気になっています。
理解してもらえるかな…
極めてマニアックな話だけど、何かアイディアがある人がいたら是非教えて下さい。誤りの指摘も歓迎します。
不動産譲渡担保の目的物に譲渡担保権者が抵当権をつけることはできるか?
まず、譲渡担保権設定者の承諾がある場合は多分大丈夫でしょう。法律構成としては、転抵当権に関する民法367条を類推する感じでしょうか。
譲渡担保権者の承諾がない場合はどうなるか。担保としての価値を有効に利用するという、転抵当を認める根拠を考えると、譲渡担保権についても同様の需要はありそうな気がします(必要性)。転抵当権と同様に考えると、承諾なしでも行けそう。
対抗要件については、抵当権設定登記(転抵当の付記登記に相当)に加えて、譲渡担保権者から債務者への通知または債務者(=譲渡担保権設定者)の承諾を要求(377条2項類推)すべきでしょう。こうすれば、3者間の関係は、転抵当と同様に比較的すっきり構成できると思います(例えば、債務者に弁済を禁止させ、供託させるなど)。
実行の場面では、結構難しい問題がでてきそう。
①例えば、転譲渡担保抵当権者(と仮に呼んでおく)は私的実行ができるのか。できるとして、どのような方法をとるのか。転抵当権であれば、抵当目的物の競売申立てで片がつきますが、私的実行の場合、転譲渡担保抵当権者が譲渡担保権者の処分権を行使することになるので、転抵当のようには行かないでしょう。
②一方、譲渡担保権者は私的実行ができるのか。結論としてはできそうですが、理論構成は微妙です。できそうな理由は、帰属清算型にせよ、処分清算型にせよ、譲渡担保権者の私的実行によって抵当権が影響をうけないと思えるからです。
理論的な問題は、譲渡担保権の消滅後に抵当権を存続させる根拠が曖昧であることです。転抵当の法律構成については学説上争いがありますが、どのような法律構成をとったとしても、抵当権が消滅したあとまで転抵当権が存続することを正当化することはできません。
一番わかりやすい例では、抵当権に担保権を設定すると構成する場合、転抵当権の抵当目的物は抵当権それ自体であるので、抵当目的物がなくなったら転抵当権は消滅せざるを得ません(当然、原抵当権の実行にあたって、転抵当権者は優先弁済を受けられます。)。これを敷衍すると、転譲渡担保抵当権の抵当目的物は譲渡担保権であって、譲渡担保権が私的実行をされた場合転譲渡担保抵当権は存続できないことになりそうです。
一方、このような場合には、譲渡担保権が抵当目的物ではなく、譲渡担保権の目的不動産が抵当目的物と考えられればよいのですが、ここでは譲渡担保権者に担保目的物の処分権限がないことがネックになります。
私的実行によって確定的な所有権が譲渡担保権者(または譲受人)に帰属すると、抵当権がその上に発生すると考えることもできそうですが、今度は対抗要件の問題が生じそうです。
適切な解決策は思いつきません。譲渡担保権者が私的実行により、遡及的に確定的な所有権を取得する、という構成はどうだろうか。とりあえず保留。
判決全文へのリンク(最高裁判所)
判決のポイントは2つ。
1.死刑は憲法36条の「残虐な刑罰」にあたらないという最高裁判所の考えに変更なし(これについては昨年10月11日のエントリを参照してください。)
2.宮崎氏は、精神的な病気で責任能力が認められない状態ではながかった(=責任能力があった)
社会的に極めて大きな影響を持ったこの事件も発生から17年あまり。事件としてはこれで完全に終了、ということになりました。
民法債権編が全面改正されるそうです。2009年の改正を目指すそうです。
改正を議論する会議の座長は内田貴教授!改正は、「最近はネット取引やフランチャイズチェーン(FC)契約、ライセンス契約、ファクタリング(債権買い取り)など債権法が想定していなかった取引や契約形態が増えている」という問題意識で行われるもので、内田教授が「関係的契約理論」を提唱した問題意識と非常に近い。
ということは、近々「関係的契約理論」が通説になるってことですかね…
「関係的契約理論」を説いた『契約の再生』『契約の時代』については、それぞれ2005年12月2日のエントリ、2005年12月13日のエントリ を参照してください。
- 佐藤 岩昭
- 詐害行為取消権の理論
民法424条の「詐害行為取消権」について、非常に詳細かつ精緻に論ずるとともに、筆者の「訴権説」と呼ばれる説を展開した本。「この問題に関する基礎的研究であり,訴権説に賛成するか否かにかかわらず,参照する価値がある。」(大村 敦志基本民法〈3〉 P.186)とされる大著です。
エキサイティングな本でした。民法の教科書の「詐害行為取消権」のところを読んで、疑問を持った人は、読んでみると面白いと思います。法律の勉強をしたことがない方には、全くお勧めしません。さすがにちんぷんかんぷんでしょう。
下に、「詐害行為取消権」の概略と、学説の状況をごく簡単にまとめてみました。法学部の先生って、普段はこんなこと考えながら生活してるんだな、というその一端をのぞいてみてはいかがでしょう。
詐害行為取消権って何だ?
「詐害行為取消」というのは、債権者を害することを知ってしたことを、害された債権者が取り消せる(なかったことにできる)、という制度です。借金で首が回らないAさんが、唯一の資産であった自分の家をBさんにあげてしまった場合に、Aさんにお金を貸しているCさんが「あげた」というAB間の契約(贈与)を取り消すような例が典型例です。
この制度の理解については、古くから非常に激しい議論があります。
まず、裁判所は「相対的取消」理論という説を、明治時代から一貫して採っています。これは、①Aさんのした贈与を取り消して、Bさんの所に行ってしまった家をAさんの所にもどす、②取消の効果は「相対的」で、CさんとBさんの間では家はAさんのものだが、AさんとBさんの間では家はBさんのもの、という理論です。
この理論には激しく批判がされています。詳細は省きますが、直感的に考えても、取消の効果が「相対的」というのは何ともおかしい気がします。
初期に現れてきた批判理論として、「形成権説」「請求権説」があります。前者は、取消の効果を「絶対的」なものとしようと考えるものです。一方後者は、贈与を取り消さないで、ただ家をAさんの元へ戻せとBさんに要求できるとするものです。いずれも批判を浴び、主流とはなれませんでした。
1960年代に、「責任説」と呼ばれる説が登場します。この説はちょっとわかりにくいのですが、大体以下のようなものです。まず、取消の目的は、要はBさんのところにある家からCさんがお金を帰してもらうことだと考えます。そのためには、家を売り払って代金をCさんが受け取れれば十分、何もAさんの所に家を戻す必要はない、と考えることができます。そこで、Bさんを相手にして、「家を売り払うのを我慢しなさい」という判決を求めて裁判を起こせばよい、とするのです。
この説は、ドイツでの議論に影響を受けたものですが、日本にはなじみのない概念を多く持ち込んだため、やはり主流にはなれませんでした。
このように、多くの説が浮いては消えて行き、結局、欠陥があることが分かっていながら、消極的に裁判所の考え方が支持されてきたのです。
1980年代に、「責任説」に影響を受けて登場したのが、本書の展開する「訴権説」です。
「訴権説」って何だ?
「訴権説」は、責任説と同じような結論を、別の方向から導こうとするものです。
今の民法の元となったフランスの法律や、ドイツ・アメリカの法律の分析や、日本で民法を作るときの議論の分析を通して、424条はCさんに「訴権」なるものを与えたものだと考えます。この「訴権」なるものを説明するには、「実体法と手続法」や「形成権と請求権」をきちんと説明する必要がありますが、大変なので省略。ポイントは、「AさんとBさんの贈与で、Cさんにはお金が返してもらえなくなったという「損害」が発生していて、これを賠償してもらうために、CさんはBさんのところにある家を売り払ってお金をもらうことができる」と考える点にあります。
わかりにくいですよね。この説は、「訴権」という、日本の法律家にあまりなじみのない制度を持ち込んでいる点に難しさがあります。
「訴権説」ってどうなの?
本書の筆者は非常に説得的な議論を展開しており、有力な学者の間でも「訴権説」は高く評価されています。理論的にもきれいです。僕もこの説はとても魅力的な説だと思います。
ただ、筆者も繰り返し言っているように、実際の裁判所の扱いや弁護士のやっていることとあまりにもかけ離れているため、やはり主流となるには至っていません。
12月7日にでた最高裁判所の判断は、「原告適格を認める」というものに過ぎません。これは、訴訟の入り口の扉が開かれただけで、いわゆる「勝訴」ではありません。まだ、(旧)建設大臣の認可がおかしかった(違法)かそうでないかの争いが残っています。
もし認可が違法だったとされるとどうなるでしょう?普通であれば、認可が取り消されます。つまり、既にできてしまっている小田急の高架部分は認可なしに建てたことになります。そうなると、できた部分を即座に取り壊して、改めて地下化工事をするのがスジ、ということになりそうです。でもこれではあまりにも金がかかりすぎます。それに、小田急を使って通勤・通学している人の便宜も考えなくてはいけません。
そこでこのような場合のために、「事情判決」という制度があります(行政事件訴訟法31条。憲法の議員定数不均衡、いわゆる一票の重みの訴訟でも使われます。)。これは、認可などの行政処分が違法だったとしても、原告がこうむる被害などと比べて取り消すのがあまりに大変な場合、取り消さないという制度です。ただ、これでは原告がかわいそうなので、事情判決では、「行政処分は違法だったよ」と宣言することになっています。この宣言は、原告が後で国に損害賠償や慰謝料を請求していくときに大きな意味を持ってくることになります。
小田急の高架化工事がもう済んでしまっていることを考えると、認可が違法だと判断された場合、この「事情判決」が出る可能性が高いと考えられます。
ちなみに、認可が違法でないとされると、単純に原告の負けです。その場合、国相手に損害賠償を求めていくのは難しくなるでしょう。騒音被害は小田急相手に補償を要求していくことになるでしょう。
行政事件訴訟法 第31条
取消訴訟については、処分又は裁決が違法ではあるが、これを取り消すことにより公の利益に著しい障害を生ずる場合において、原告の受ける損害の程度、その損害の賠償又は防止の程度及び方法その他一切の事情を考慮したうえ、処分又は裁決を取り消すことが公共の福祉に適合しないと認めるときは、裁判所は、請求を棄却することができる。この場合には、当該判決の主文において、処分又は裁決が違法であることを宣言しなければならない。
- 内田 貴
- 契約の時代―日本社会と契約法
『契約の再生』(12月2日のエントリ 参照)の続編です。
1990年から2000年の間に内田教授が発表した数々の論文を元に、大幅な加筆修正を加えたものです。
『契約の再生』で展開された「関係的契約理論」の、日本民法解釈学へのインパクトが中心に論じられています。
構成は、前半で、「関係的契約理論」の紹介と、その規範理論としての正当性が論じられています。ただ、規範理論としての正当性を裏付ける思想(第3章)は、「古典的契約理論」における自由主義(意思自律の原則、契約自由の原則)のような明確な形では提示されていないように思います。というか、読んでもいまいちよくわかりませんでした。
後半は、主として「関係的契約理論」の、説明理論としての妥当性が論じられています。内田教授の主張としては、「古典的契約理論」の立場からは例外的事例として扱われている信義則(民法1条2項)適用事例を、「関係的契約理論」を導入することで、契約法の1つの中核として捉える事ができるとしています。つまり、現に裁判官は、関係的契約理論的な法の適用を行っているのに、古典的な契約理論がそれを例外に押し込めてしまっている、という主張です。
感覚としては、今まで「事案の特殊性」として、個別の判例を説明するために言及されていた事実のレベルの話を、整理して理論のレベルに取り込む、という感じでしょうか。
まぁ、これだけ読んでも、何のことやらさっぱりでしょうね。理論の細かい話は、この本を読んでもらうにしくはなしです。
内田民法で民法を勉強している人は、読んでみてもいいかもしれません。面白い議論がいろいろ展開されていますし、「もう一歩前へ」のレベルの話が分かりやすくなると思います。
12月13日 通学中に読了
さしあたり、僕の覚書的なものを出してみます。
続きを書けるのはいつになるかわかりませんが、次の国民審査には間に合わせたい(苦笑)
基本編
これから書きます。
応用編
事案の概要
平成6年5月に、小田急線の喜多見~梅ヶ丘の高架化工事について、(旧)建設大臣が東京都に認可を出しました。高架化される付近に住んでいる人たちが、「地下化すればよかったのに、騒音の激しい高架化で許可を出したのはおかしい」といって、この許可の取消を求めたのが今回の訴訟です。
鉄道が引かれる場所に土地を持っていない周辺住民が、この許可の裁判を求めることができるか(原告適格の有無)が1つの大きな争いになりました。なお、この訴訟で問題になった都市計画法の認可については、事業が施工される土地に権利を持っている人(つまり、今回の事件で言うなら、鉄道が引かれる場所に土地を持っている人)だけが原告適格を持つ、とした判決が平成11年にだされています。
裁判所の判断
平成11年の判断を変更して、周辺住民にも原告適格がある、と判断しました。
根拠としては、
都市計画法が環境への配慮を要求している
↓だとすると
環境への配慮について規定した法令として、旧公害対策基本法と、東京都環境影響評価条例(いわゆる「アセス」)の目的なども一緒に考慮すべき
↓
アセスでは、線路から1キロ以内くらいに住んでいる人への影響が考慮される
↓だとすると
都市計画法の認可にあたっても、この範囲に住んでいる人の騒音被害を考える必要がある
↓だから
この範囲に住んでいる人には、建設大臣が騒音被害をきちんと考えたかを争う資格を与える
という流れになっています。
解釈論(これでもごく概要。行政法を勉強したことのない人にはよく分からないでしょうが、僕自身の覚書のつもりで。)
原告適格について規定した行政事件訴訟法9条2項は、平成16年の改正で入ったものです。それ以前は1項だけでした。
行政事件訴訟法 第9条1項
処分の取消の訴え……は、当該処分……の取消を求めるにつき法律上の利益を有するもの……に限り提起することができる。
同2項
裁判所は、処分又は採決の相手方以外の者について前項に規定する法律上の利益の有無を判断するに当たっては、当該処分又は裁決の根拠となる法令の文言のみによることなく、当該法令の趣旨及び目的並びに当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質を考慮するものとする。この場合において、当該法令の趣旨及び目的を考慮するに当たっては、当該法令と目的を共通にする関係法令があるときはその趣旨及び目的をも参酌するものとし、当該利益の内容及び性質を考慮するに当たっては、当該処分又は裁決がその根拠となる法令に違反してされた場合に害されることとなる利益の内容及び性質ならびにこれが害される態様及び程度をも勘案するものとする。(平成16年追加、平成17年4月1日から施行)
9条2項は、処分等の相手方以外の人の原告適格を判断する際に考慮すべき事項を定めています。非常に長くて読みにくい規定ですが、大きく分けて2つのことを言っています。
① 行政処分など根拠法令の趣旨や目的を考慮すること
①´ ①を考慮するときには、目的が同じ他の法律も一緒に考慮すること
② 処分によって与えられたり侵害されたりする利益の内容や性質を考慮すること
②´ ②を考慮するときには、侵害される利益の状況も一緒に考慮すること
前提として、根拠法令の言葉だけで判断するのはダメ
9条1項の「法律上の利益」をめぐっては、2項がない時代からその解釈が争われていました。
学説としては2つの説が対立しています。1つは、法律上保護された利益説、もう1つは、法律上保護に値する利益説です。前者は、処分によって侵害される「利益を処分の根拠法規が保護している」(塩野117頁)場合に原告適格を認める考え方、後者は、「利益が法律によって保護されたもの」である場合に限らず、「事実上の利益でも」(同)原告適格を認める考え方です。前者よりも後者の方が原告適格が認められる範囲は広くなります。例えば、今回の訴訟では、純粋に前者の説を貫くと、都市計画法が、周辺住民が騒音を受けないという利益を保護していると考えることは難しいので、原告適格は認められないことになります。一方後者の説だと認められる可能性が大きいといえるでしょう。
これまでの裁判所の判断
裁判所は、「法律上保護された利益説」を採っていると言われてきました。しかし、この説を貫くと、実体判断をしないでいわゆる「門前払い」になる場合が多すぎて、国民の救済が十分でないことは古くから意識されています。そこで裁判所は、法律上保護された利益説を守った上で、原告適格を拡げる理屈をいろいろ考えてきました。結果として、法律上保護に値する利益説に接近しています。
しかし、どこまでいっても基本スタンスは法律上保護された利益説。裁判所は、原告適格を認めるのに慎重すぎる、という批判がありました。原告適格が認められない場合を、メディアではよく、「門前払い」と批判していました。
裁判所の考えた理屈のエッセンスが集約されたのが、新設の9条2項です。例えば、上記①´は新潟空港訴訟(最高裁平成元年2月17日判決、行政判例百選II.201事件)に由来しますし、②´はいわゆるもんじゅ訴訟(最高裁平成4年9月22日判決、行政判例百選II.202事件)に由来すると考えられます。その意味で、「改正法が全く新たな視点を提供したものではない」(塩野124頁)のです。
しかし、改正前は、常に9条2項の要素全てが考慮されていたわけではありません。これが、常に全て考慮されるようになったという点で意味があります。さらに、この改正は、国民の救済を実のあるものにしよう、というコンセプトでされたもので、9条2項の判断にあたっても、このコンセプトを尊重することが求められると考えられます。(塩野125頁)
今後の見通し
今回の判決は、「国民の権利救済」という9条2項のコンセプトを尊重して、平成11年の判例を変更しました。解釈としては、都市計画法の目的などに加えて、環境基本法や東京都の環境影響評価条例(「アセス」)の目的なども考慮しています。9条2項の規定振りに従ったものと言えるでしょう。
今回の事件は、法改正後、原告適格が問題になった初めての大きな訴訟だったため注目を集めました。最高裁判所が原告適格を拡げる方向で判断したため、今後都市計画法以外の事件でも、「門前払い」をやめる判断が出ることが予想され、メディアなどでも期待されているところです。
本稿は、塩野 宏行政法〈2〉行政救済法 PP.114-127、行政判例百選 (2) 201事件~204事件、212事件、及び交告教授の大学での講義を参考にして書きました。
小田急高架化をめぐる裁判で、一定の周辺住民に原告適格を認める大法廷判決が、今日出ました。今年3件目の大法廷判決です。
この事件、行政法の世界では非常に注目を集めていた事件です。小田急の高架化について、行政の出した許可はおかしかったから、許可を取り消してくれ、と、周辺住民が訴えています。
「原告適格」というのは、裁判で原告になれる資格のことです。これが認められないと、許可がおかしかったかどうかの判断(実体判断)はしてもらえません。
判決文がまだ出てきていないので、詳しいことは判決文が出てきてから。
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