- 佐藤 岩昭
- 詐害行為取消権の理論
民法424条の「詐害行為取消権」について、非常に詳細かつ精緻に論ずるとともに、筆者の「訴権説」と呼ばれる説を展開した本。「この問題に関する基礎的研究であり,訴権説に賛成するか否かにかかわらず,参照する価値がある。」(大村 敦志基本民法〈3〉 P.186)とされる大著です。
エキサイティングな本でした。民法の教科書の「詐害行為取消権」のところを読んで、疑問を持った人は、読んでみると面白いと思います。法律の勉強をしたことがない方には、全くお勧めしません。さすがにちんぷんかんぷんでしょう。
下に、「詐害行為取消権」の概略と、学説の状況をごく簡単にまとめてみました。法学部の先生って、普段はこんなこと考えながら生活してるんだな、というその一端をのぞいてみてはいかがでしょう。
詐害行為取消権って何だ?
「詐害行為取消」というのは、債権者を害することを知ってしたことを、害された債権者が取り消せる(なかったことにできる)、という制度です。借金で首が回らないAさんが、唯一の資産であった自分の家をBさんにあげてしまった場合に、Aさんにお金を貸しているCさんが「あげた」というAB間の契約(贈与)を取り消すような例が典型例です。
この制度の理解については、古くから非常に激しい議論があります。
まず、裁判所は「相対的取消」理論という説を、明治時代から一貫して採っています。これは、①Aさんのした贈与を取り消して、Bさんの所に行ってしまった家をAさんの所にもどす、②取消の効果は「相対的」で、CさんとBさんの間では家はAさんのものだが、AさんとBさんの間では家はBさんのもの、という理論です。
この理論には激しく批判がされています。詳細は省きますが、直感的に考えても、取消の効果が「相対的」というのは何ともおかしい気がします。
初期に現れてきた批判理論として、「形成権説」「請求権説」があります。前者は、取消の効果を「絶対的」なものとしようと考えるものです。一方後者は、贈与を取り消さないで、ただ家をAさんの元へ戻せとBさんに要求できるとするものです。いずれも批判を浴び、主流とはなれませんでした。
1960年代に、「責任説」と呼ばれる説が登場します。この説はちょっとわかりにくいのですが、大体以下のようなものです。まず、取消の目的は、要はBさんのところにある家からCさんがお金を帰してもらうことだと考えます。そのためには、家を売り払って代金をCさんが受け取れれば十分、何もAさんの所に家を戻す必要はない、と考えることができます。そこで、Bさんを相手にして、「家を売り払うのを我慢しなさい」という判決を求めて裁判を起こせばよい、とするのです。
この説は、ドイツでの議論に影響を受けたものですが、日本にはなじみのない概念を多く持ち込んだため、やはり主流にはなれませんでした。
このように、多くの説が浮いては消えて行き、結局、欠陥があることが分かっていながら、消極的に裁判所の考え方が支持されてきたのです。
1980年代に、「責任説」に影響を受けて登場したのが、本書の展開する「訴権説」です。
「訴権説」って何だ?
「訴権説」は、責任説と同じような結論を、別の方向から導こうとするものです。
今の民法の元となったフランスの法律や、ドイツ・アメリカの法律の分析や、日本で民法を作るときの議論の分析を通して、424条はCさんに「訴権」なるものを与えたものだと考えます。この「訴権」なるものを説明するには、「実体法と手続法」や「形成権と請求権」をきちんと説明する必要がありますが、大変なので省略。ポイントは、「AさんとBさんの贈与で、Cさんにはお金が返してもらえなくなったという「損害」が発生していて、これを賠償してもらうために、CさんはBさんのところにある家を売り払ってお金をもらうことができる」と考える点にあります。
わかりにくいですよね。この説は、「訴権」という、日本の法律家にあまりなじみのない制度を持ち込んでいる点に難しさがあります。
「訴権説」ってどうなの?
本書の筆者は非常に説得的な議論を展開しており、有力な学者の間でも「訴権説」は高く評価されています。理論的にもきれいです。僕もこの説はとても魅力的な説だと思います。
ただ、筆者も繰り返し言っているように、実際の裁判所の扱いや弁護士のやっていることとあまりにもかけ離れているため、やはり主流となるには至っていません。
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