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Posted by - 2026.07.09,Thu
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Posted by l.c.oh - 2005.09.26,Mon

小川 洋子

やさしい訴え


 まず最初にお断りしておきます。僕は、身振り手振りを交えて盛んに主張するような小説や、わざとらしさが目に付く小説はあまり好きではありません。静かであまり語らない小説を好みます。特にテンションが低いときには、しっとりとした小説に静かに身を浸すのが最高の気分転換になります。

 今日僕は、ちょっとへこみ気味でした。そして、この小説は、そのような状態の僕にとってはすばらしいタイミングで出てきました。

 夫から逃れてきた女性、楽器が弾けなくなった元ピアノ弾きのチェンバロ製作者、婚約者を失ったチェンバロ製作者の助手の3人の不思議な関係を描いた物語です。三角関係といってしまうと俗っぽくなりますが、まぁ、そんな感じです。先取りしてしまうと、解説にある、「瑠璃子は新田氏にとって楽器だった。でも、薫さんは音楽そのものだ。」というのが3人の関係を的確に表現していると思います。

 物語は淡々と進みます。単調だと感じる向きもあるかもしれません。でも、今日はいい具合に沁みたので、おすすめ度は満点をつけちゃいます。

9月26日 自宅にて読了
おすすめ度:★★★★★

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Posted by l.c.oh - 2005.09.25,Sun
ネタがないので、今日つぼにはまったくだらないニュースをひとつ。

 ネット上でかなり話題になっているようなのでご存知の方も多いかもしれませんが、カトリーナは日本のやくざが発生させたものだという説を唱えているお天気キャスターがいるそうです。
  Sankei Webの記事

 この素敵な説を唱えているのは、アメリカアイダホ州のテレビ局KPVIのお天気キャスター、スコット・スティーブンス氏。彼は、カトリーナについて、「雲の形状から自然に発生したものではない」と断定。先物取引でボロもうけしたヤクザが、ハリケーンや台風を人工的につくり出すため一九七六年に開発されたロシア製機器を購入、米国による原爆投下への報復措置として発生させた、と主張しているらしい。
  スティーブンス氏のHP(英語)→http://www.weatherwars.info/index.html
  その日本語訳→http://www.t-xxx.com/weatherwars/index.htm

 ハリケーンを人工的に作り出す機械があるとは知りませんでした。人工的に雨を降らせる方法(マンガ『One Piece』に出てくる「ダンスパウダー」のようなもの)があるらしいというのは聞いたことがあるのですが、大分違うみたいです。スティーブンス氏のHPを見たら、"scalar"がたくさん出てきて、パナウェーブ研究所を思い出してしまいました。で、どんな原理なのかはわからずじまい。というか、わかる必要性を感じません。

 さらにいうと、日本のやくざがどこから登場したのかも謎。どうも言いだしっぺはスティーブンス氏ではないようです。
  言いだしっぺと目される、トム・バーデンのHP→http://www.cheniere.org/articles/

 それにしても、スティーブンス氏の発想力には参りました。論理構造の不明確さはさておき、なんというか、非常に"unique"ですね。もちろん皮肉ですが。日本のやくざもびっくりしたことでしょう。
 カトリーナのような巨大災害を誰かのせいにしたい気持ちはわかるけど、これはちょっと。
Posted by l.c.oh - 2005.09.24,Sat

小川 洋子

シュガータイム


 小川洋子初期の作品、裏表紙の紹介にも、文庫版解説にもあるように、「青春」小説です。

 良くも悪くも若書きの印象です。ただ、多くの作家の初期の作品に見られるような熱さは感じられません。個人的にはあまり…。大学入ったころに読んだらもうちょっと違う感慨があったかもしれませんが。

9月23日自宅読了。
おすすめ度:★☆☆☆☆
Posted by l.c.oh - 2005.09.23,Fri

小川 洋子

沈黙博物館


 博物館技師が、老婆の依頼により、ある村の死者の「形見」を展示する博物館を作る話です。
 ちくま文庫なので危惧はしていましたが、案の定ちょっと読みづらいです。

 外界から遮断された自己完結的な村という状況設定、そこから逃れられないという宿命じみたもの、世界観の温度の低さ、運命に従順な動物の存在、物語を語る形見の存在などの点で、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の「世界の終わり」に非常に強い近似性が感じられます。
 ストーリーや世界観は非常に魅力的だと思います。僕、こういうの好きなんで。ただ、著者がテーマに強いこだわりを持っていたせいか、文章がちょっと粘着質な印象を受けました。結果として、文章の流れが滞りがちになり、読みづらい感じになってしまったように思います。ちょっと残念です。

追記:アマゾンのカスタマレビューを見たら、読みやすかったという意見が多いようですね。一般的に見て読みやすいのであれば、内容はおすすめですので、おすすめ度を訂正しておきます。

9月22日自宅で読了。
おすすめ度:★★★★☆
Posted by l.c.oh - 2005.09.23,Fri
22日付けの新聞に、こんな記事が載りました。↓
「不起訴不当の議決、最大限尊重を」東京第二検審が勧告

 検察審査会なんて、聞いたことがない人がほとんどではないでしょうか。実はこれ、1948年からある、刑事事件への国民参加の制度で、昨今話題の裁判員制度と同じコンセプトのものです。ちょっと詳しく紹介しましょう。

制度の概要
 衆議院選挙の選挙権を持つ人の中から、くじで選ばれた11人で構成されます(もしかして、選ばれた事のある方、いらっしゃいます?)。任期は6ヶ月です。
 日本では、起訴するかしないか(裁判にするかしないか)は、検察官が決められることになっています(刑事訴訟法248条)。しかし、犯罪の被害者などが、起訴しないという判断に納得がいかない場合があります。その場合に、文句を言う先が検察審査会です。
 文句が上がってきた場合、検察審査会は、検察官からもらった資料を見たり証人を呼んだりして、起訴しないという判断が妥当だったかを判断します。起訴しないという判断がおかしいと思う人が11人中6人以上だと「不起訴不当(もっとよく捜査して下さい)」、8人以上だと「起訴相当(起訴すべし)」という判断がだされます。
 文句が上がってこなくても、検察審査会が自ら調査をすることもあります。
 ただ、検察審査会の判断には拘束力がなく、検察官は起訴をしなければならないわけではありません。

 もう1つ。検察審査会は、検察の仕事のあり方に文句を言うことができます。これが今回の記事で取り上げられている「建議・勧告」です。


目的
①日本では、起訴をする人も判決を出す人も、プロフェッショナルです。これはいい面もありますが、社会の感覚とずれてしまう危険があります。そこで、国民の感覚とプロの感覚をなるべく同期するために検察審査会があります。これが特に、裁判員制度のコンセプトとかぶるところです。
②検察官の職権濫用・判断の誤りを是正する目的もあります。


運用の実態
 ちょっと古いデータですが、平成9年までの総計で、検察審査会が審査したのは129,372件、そのうち、起訴相当または不起訴不当とされたものは15,960件で、全体の12.3%です。
 ただ、再捜査の結果、実際に起訴されたのは、そのうち2割程度といわれています。この背後には、起訴された=犯人というような感覚が国民に浸透していて、仮に無罪になっても社会で蒙る事実上の不利益(会社に居づらくなる、配偶者に愛想をつかされるなど)が大きいという考慮があると考えられます。


今後
 運用の実態を見ても分かるように、現在は検察審査会の趣旨が十分に活かされているとはいいにくい状況です。検察審査会の判断に拘束力を与えようという議論は結構昔からありました。司法制度改革の中で、「起訴相当」が2回出されれば必ず起訴されるように法律が改正され、2009年までに実施される予定です。


 で、今回の記事ですが、「検察審査会が起訴相当・不起訴不当の判断をしたのに、検察官が起訴する件数が少なすぎるから何とかしてくれ」というのが、勧告の内容です。これはどうも、橋本龍太郎氏と日歯の件が起訴されなかったことを念頭において出されたもののようですが、検察審査会があまり機能していないことが社会的にも問題にされる時期にきているのかもしれません。
ただ、運用の背後にあるのが、「国民の意識」という漠然としたものであり、一朝一夕に変わるものではないため、一般論のレベルでは、結構難しい価値判断になりそうな気がしています。

おまけ
 裁判員制度については、裁判所のHPをご覧ください。丁寧な解説があります。
 ちなみにアメリカでは、一定の重大事件について、起訴すべきかどうかを陪審で決めます。これを大陪審といいます。映画などでよく見かけるような、有罪・無罪の判断をする陪審は、小陪審という別の制度です。大・小は単に人数の違いだけで、どちらが重要かを示すものではありません。
Posted by l.c.oh - 2005.09.22,Thu
 在外邦人選挙権の判決も今回で最後です。きょうは、15日のエントリでいうところの③の判断について取り上げます。


何が問題になったか
 ③国会が法律を改正しなかったという不作為を理由にして、賠償金が取れるか。


裁判所の判断
 ③取れる(賛成11対反対3)


詳細
 事実関係については、15日のエントリを参照してください。

法律
 立法の不作為はどのように裁判所に持っていくのかが難しい問題になること、「確認の訴え」は「確認の利益」がなかなか認めてもらえないことは、昨日見ました。そこで考えられた方法が、国家賠償を使う方法です。

 国家賠償とは、公務員のしたことによって誰かが損害をこうむった場合、国が賠償をする制度です。その名もずばり、国家賠償法という法律があります。
 この事件の場合は、公職選挙法を改正しなかったことによって、外国に住む日本人が精神的損害をこうむったので、その損害賠償(いわゆる慰謝料)を取れるかが問題になりました。
 国家賠償で賠償金を取るためには、公務員のしたことが「違法」であることが必要です(国家賠償法1条)。立法不作為の場合は、国会議員が法律を作らないということが「違法」という評価を受けるかどうかが勝負の分かれ目になります。

 では、どのような場合に立法行為が「違法」になるのでしょうか。最高裁判所は、以前、「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているのもかかわらず国会があえて当該立法を行うような容易に想定しがたいような例外的な場合でない限り」違法にはならないという判断をしています(昭和60年11月21日在宅投票制度廃止事件、憲法判例百選II・426頁)。こんな例はまず考えられないでしょう。これは、立法について国会が自由に決められる部分を非常に広く認めたもので、国会がひどいことをしたときは、基本的に選挙で問題を解決すべしという考慮に基づくものです(これについては、15日のエントリも参照してください。)。
 一般的には、この昭和60年の判決によって、立法不作為で国家賠償が取れる可能性、ひいては憲法違反の判決を取れる可能性はほとんどゼロになってしまった、といわれていました。そのような状況の中ででたのが今回の判決です。

裁判所の判断
 大方の予想を覆して、最高裁判所は国家賠償を認めました。外国に住む日本人の投票権についての立法不作為は、「例外的な場合」にあたると判断したのです。結果、立法不作為が違法とされ、慰謝料請求が認められました。
 このような判断をするにあたって、最高裁判所は理由を2つ挙げています。1つは、外国に住む日本人にも選挙権が憲法で保障されていることが明らかであること、もう1つは、あまりに長いこと国会が何もしなかったことです。
 2つ目について少し補足をしておきます。法律を作るには、細かい調整をしたり討議をしたりとそれなりに時間がかかります。そこで、憲法違反の状態が生じていても、国会が法律を作るのに必要な時間が経っていないときには、裁判所は憲法違反の判決を出さないようになっています。ただ、今回のケースは、事実上選挙ができる状態になってから10年以上国会が何もしなかった場合なので、あまりにひどい状況に最高裁判所が業を煮やして、「例外的な場合」にあたるとしたと思われます。

 今まで「例外的な場合」にあたるとした判決はなかったので、これを認めたという点で今回の判決は非常に重要な判断といえるでしょう。「例外的な場合」が、昭和60年判決からみんなが考えていたほど極限的な場合だけではないことが明らかになったという点でも注目されます。


 ちなみに、慰謝料は一人5000円です。安いですね。
 ただ、泉裁判官の反対意見にもあるように、今回の原告の目的は、賠償金をとることではなく、憲法違反の判決をもらうことだったと考えられるので、金額はあまり問題ではないのです。(泉裁判官はさらにすすんで、「だったら賠償金は払う必要なんてないよね」といっています。この背後には様々な考慮があるのですが、長くなるので割愛します。)


 長くかかってしまってすみませんでした。②と③の話は、法律を勉強したことのない人には若干分かりにくい話だと思います。どれだけまとめられたか自信がありません。分からない点はご指摘ください。
Posted by l.c.oh - 2005.09.21,Wed
 予定通り、②について書きます。③はちょっと時間がなかったので、また今度。
 これは、非常に法技術的側面が強いところです。今の日本の法律を前提とした場合、どのように解釈すれば救済できるかが難しい問題だと考えられていて、それに対して最高裁判所が一定の見解を示したことが注目されます。


何が問題になったか ②「次の選挙のときに外国にいる日本人が投票できる」という地位の確認を求める裁判ができるか。


裁判所の判断
 ②できる(賛成12対反対2)


詳細
 事実関係については、15日のエントリを参照してください。
 ②に関連して少し補足をしておくと、この訴訟では、「平成10年以前の公職選挙法が違法であることの確認」と、「現在の公職選挙法が違法であることの確認」と、「次の選挙のときに外国にいる日本人が投票できることの確認」の3つの確認の訴えがなされていました。

法律

 まず、そもそも法律を改正しないこと(立法不作為)が憲法違反になるか、という問題があります。



 普通憲法違反が問題になる場合は、上の図の「現状」が正しいか否か、という形で問題になります。この場合、他にどのような選択肢があるかは深刻な形では問題になりません。一方、立法不作為が憲法違反だと主張するのは、上の図で言えば、選択肢2を選ばなかったことを問題にするということです。この場合は、他の選択肢が考慮に入ってきます。他の選択肢にも、それぞれ利害があるわけで、それを検討・調整するのには、裁判所は向いていないと考えられています。なぜなら、裁判所は是か非かの判決を出すのが仕事で、是か非かでは割り切れない複雑な利害調整をするところではないからです。このようなことは、一般的には国会での議論ですることだといえます。そこで、立法不作為が憲法違反になるのは、選択肢2を選ぶことが憲法で明らかに要求されている場合(立法義務がある場合)に限られると考えられています。
 ちょっとわかりにくいですかね。要は、「しないこと」が憲法違反になるには、「すること」が憲法で明らかに義務付けられている場合だけだ、ということです。


 次に、立法不作為が憲法違反であるという判決を、裁判所が出せるかという問題があります(国会の裁量については、15日のエントリを参照してください。)。現在の法律上、立法不作為違憲訴訟という形態の裁判は用意されていません。そこで、どのような訴えをすれば、立法不作為を争えるかが問題になってきます。

 まず考えられたのが、「確認の訴え」を使う方法です(他に考えられたものとして、国家賠償法を使う方法がありますが、これについては③を書くときに説明します。)。

 民事裁判では、求める判決の内容によって3種類の訴えがあります。「給付の訴え」「確認の訴え」「形成の訴え」がそれです。「給付の訴え」は、例えば、貸したお金を返してくれと訴えるような場合です。これで裁判に勝つと、強制執行をかけることができます。「確認の訴え」は、例えば、ある土地が自分のものだということを明らかにしてくれと訴える場合や、100万円の借金返済を相手が要求してきたときに50万円しか借りていないことを明らかにしてくれと訴える場合です。「形成の訴え」はちょっと特殊で、裁判所が判決を出さないと権利関係が変わらない場合です。例としては結婚を取り消す(離婚ではなく)場合などがあります。
 この事件では、「確認の訴え」が使われました(正確には、この事件は民事訴訟ではなく、行政訴訟という類型に入りますが、あまり差はありません。)。ただ、確認の訴えをしたとき、裁判所から判決をもらうためには、「確認の利益」というものが必要です。「確認の利益」は、「現に存する法律上の紛争の直接かつ抜本的な解決のために適切かつ必要な場合(最高裁判所の言い回し)」だけしか認められません。なぜなら、法律関係はいろいろ変化するものなので、過去の法律関係を確認しても今もそのままだという保障がなく、普通はあまり意味がないからです(「現に存する」の意味)。また、確認の訴えというのは、給付の訴えに比べて、強制執行ができないという点で弱い力しか持たない判決しかもらえないので、できれば給付の訴えの方が望ましいという理由もあります(「直接かつ抜本的な云々」の意味)。

 立法不作為が憲法違反であると主張する裁判は、今までは「確認の利益」がないとして訴えが認められていませんでした。最高裁判所のいう「確認の利益」を満たす訴えが難しかったからです。

裁判所の判断
 今回の事件でも、3つの確認の訴えのうち、2つは「確認の利益」で切られています。
 まず、「平成10年以前の公職選挙法が違法であることの確認」は、過去の法律関係を確認するものなのでダメ、とされました。
 「現在の公職選挙法が違法であることの確認」も、「確認の利益」がないとされています。例えば、外国に住む日本人に選挙権を与えるという改正をしなかったこと(立法不作為)が憲法違反だとしても、彼らがすぐに投票できるようになるわけではありません。法律を作ることができるのは国会だけで、法律が作られないと、投票ができるようにはならないからです。投票の方法など細かい調整も必要です。ですから、立法不作為の憲法違反を確認しても、争いが「直接かつ抜本的」に解決するとはいえないのです。最高裁判所の判断の背後には、このような考慮があったと考えられます。
 そこで、立法不作為の憲法違反自体を確認するのではなく、「次の選挙の時には投票ができる」という地位があることの確認を求める方法を考えました(これを考え付いた弁護士さんは偉大だと思います。)。これならば、今の時点の地位が問題になっていますし、選挙権の有無について「直接かつ抜本的」に解決することができます。最高裁判所は、この確認の訴えについては「確認の利益」を認めました。これは、最高裁判所が救済のために頑張ったという面もありますが、弁護士のアイディア勝ちの面が強いといえるでしょう。


 田舎にはあんまり情報のソースがないので、曖昧な記憶を頼りに書きました。細かい点ははしょりましたし、嘘は書かないように注意しましたが、おかしい点はご指摘ください。

Posted by l.c.oh - 2005.09.20,Tue

小川 洋子

凍りついた香り


 今日はこいつを読みました。
 恋人を突然自殺で失ったフリーライターの女性(涼子)が、その恋人の記憶を探しにでかける物語です。
 小川洋子の世界の静謐さがこの小説でも出ています。
 この本も幻冬舎文庫版です。装丁は魅力的だと思いますが、やっぱり裏表紙の紹介文はあんまりうまくないですね。 「死者をたずねる謎解き」が強調されていますが、この物語の中心は、謎解きではないと思います。

 自殺した恋人(弘之)は調香師で、自殺する前夜に涼子にオリジナルの香水をプレゼントしていました。その香りを手がかりに、弘之の記憶が少しずつ浮き上がってきます(この「弘之の記憶」は、涼子が持っている弘之の記憶ではなく、弘之が持っていた弘之の記憶です)。
 なかなか面白い小説でした。この本の文章は、ミステリーのように、読者を引っ張っていく力があるように思います。今まで僕が読んだ小川洋子の本にはなかった傾向です。抽象的な言い方をすれば、「動」の文章で「静」の世界が表現されている、とでもいいますか。この感覚は、村上春樹に近いかもしれません。
 なお、この本の中核的な謎は、最後まで解答が与えられません。この「解答が与えられない」という言葉(don`tの意味でもcannotの意味でも)が、本書の謎を解く鍵になるのではないかと思います。

 あまりに抽象的な書評。これから読む人のために、本の内容にはなるべく踏み込みたくないのですが、内容に触れないと抽象的で意味不明な文章になってしまいます。まだまだですね。

9月19日自宅で読了
おすすめ度:★★★★☆
Posted by l.c.oh - 2005.09.19,Mon

小川 洋子

ホテル・アイリス


 小川洋子の本を少し買い込んだので、本の話はしばらく小川洋子だらけになります。文庫本だけなので、博士の愛した公式もブラフマンの埋葬もでてきませんが。

 で、ホテル・アイリスを読みました。
 離島に住む翻訳家の老人と、ある少女の奇妙な関係を描いた作品です。
 好みの分かれる作品だと思います。

 どうでもいいことをいくつか。まず、装丁がよろしくないですね。女性が裸で砂漠に立っている絵が表紙だと、本屋で買うのにはちょっと勇気がいります。あと、帯もよくない。「落伍者のための名作」という表現はどうでしょう。ついでに、裏表紙の紹介文もあまりよくない。「究極のエロティシズム!」とか手垢が3センチくらい積もったようなことを書かれると、逆に買う気をなくします。装丁や帯はさておき、この紹介文には幻冬舎文庫のセンスを疑います。

 読ませる文章です。エロティシズムといっても、「徒に性欲を興奮又は刺激させ」るようなものではなく、性描写に全体が支配されないように、節度をわきまえた描写がなされているように思います。
 雰囲気としては、純文学特有の静けさが全体に漂っています。イベントは起こりますが、それでも本からは全くといっていいほど音が聞こえません。小川洋子の作品は静かな作品が多いという印象があり、これもそのようなものの1つといえそうです。この辺が評価の分かれるところで、ジュンブンガクがあまり好きでない人には、温度の低さとか、やたらテクニカルな印象が強く現れるのではないかと思います。なので、万人受けする感じではありませんが、僕自身はこのような本も好きです。

9月19日自宅で読了
お勧め度:★★☆☆☆

Posted by l.c.oh - 2005.09.18,Sun
 今日は稲刈りをしてまいりました。
 写真をアップしたかったのですが、デジカメを家に忘れていってしまったので写真がありません。残念。

 稲刈りをしたのは、栃木県茂木町にある石畑棚田です。日本棚田百選にも選ばれている棚田ですが、かなりの山奥です。棚田を切り開き、管理している農家の人たちに尊敬の念を抱きます。
 ここは、棚田オーナー制を導入していて、オーナーがおよそ月1回ペースで農作業をします。農業体験的な側面を重視しているオーナー制であることもあって、作業は基本的に手作業。出来上がったお米はオーナーに全量配布(およそ45Kg)されます。費用は年間30,000円だそうです。(詳細はこちらこちらを。)

 で、今日は稲刈りとおだがけ(はざがけ、竹でできたやぐらに稲を架け天日干しにします)をしてきました。結構な重労働。腰を落とした体制をとって刈るので腰にくる、水抜きが十分でなく泥の場所もあるので足にくる、稲も束ねると結構な重さになるので腕にもくるで、作業が終わったころには全身に疲労が充満してました。明日あたり筋肉痛がくるんだろうな。でも、作業は楽しいし、疲労感も心地よいもの(たまにやるからなんだろうけど)。おだがけが全部済んだ田んぼの眺めも美しいものでした(写真がないのが本当に残念)。

 乾燥におよそ3週間、その他もろもろの作業があって、新米が受け取れるのは11月頭くらいの予定です。楽しみ。
僕が(一部)書いた本が出版されました
yanagawasemi
柳川範之+柳川研究室[編著]
これからの金融がわかる本
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性別:
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職業:
法科大学院生
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