昨日の続きです。
3.憲法判断はなるべく避けるべきだ、という準則に引っかからないか
裁判所が判断をするにあたって、従うべきルールがいくつかあります。その中に、「憲法判断回避の準則」と呼ばれるものがあります。これは、いくつかのルールの集合体なのですが、よく問題になるのは、「裁判所は、…もし事件を処理することができる他の理由が存在する場合には、その憲法問題には判断を下さない」というルールです。
学者の皆さんの間では、このルールが絶対的なものかどうかについて論争があります。ルール自体を否定する方から、絶対に従わなければならないとする方までさまざまですが、基本的にこのルールを尊重しつつ事情や環境によってはこのルールを破ってもよいという考え方が最も賛同者が多いようです。
これに対して裁判所は、このルールを絶対視する傾向が強かったと言われています。例えば、自衛隊が憲法違反かどうかなど、このルールにより遮断され判断が下されていない憲法問題はたくさんあります。
今回のケースでは、信教の自由に対する侵害はないとして、損害賠償は認められませんでした。つまり、首相の靖国神社公式参拝が憲法違反かどうかは判断しなくても、損害賠償事件を処理することはできた、ということです。今までの小泉首相参拝の損害賠償事件のほとんどは、「損害賠償はどっちにしろ認められないのだから、参拝が憲法違反かどうかは判断する必要はない」という理由で、憲法問題に踏み込まないものが多かったようです(判決文が入手できなかったので何とも言えませんが。)。また、今回の事件の地裁判決も、同様の理由で憲法判断には踏み込んでいないようです。
大阪高等裁判所の判決は、(合憲にせよ違憲にせよ)憲法判断をしたこと自体で、なかなか興味深い判断と言えるでしょう。
「憲法判断回避の準則」は、日本国憲法が付随的違憲審査制をとっていることが根拠とされます。付随的違憲審査制とは、憲法判断は問題になっている事件の解決に必要な限度でのみ行うというもので、アメリカの制度に倣ったものです。「憲法判断回避の準則」自体も、別名「ブランダイス・ルール」といわれるように、アメリカの裁判官が定式化し、アメリカで普及してきたものです。
「付随的違憲審査制→憲法判断回避の準則」という論理は現行憲法においては非常に説得的です。ただ、最近の司法制度改革の流れの中で、「裁判所の持つ情報提供作用→国民の法的予測可能性の向上」という視点も重視されてきているように僕は感じています。また、憲法判断回避の論理も、法律学の形式性を感じさせ、国民の理解を得るのは難しいと思います。
裁判所、特に最高裁判所は、「憲法判断回避の準則」にあまりに縛られることなく、積極的に憲法判断を下していくべき社会状況になってきているのではないでしょうか。
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