ブログ(仮)
Posted by l.c.oh - 2005.09.03,Sat
今日取り上げるのは、平成17年1月26日に出された判決です。これは、今回国民審査の対象となっている人が関係した唯一の大法廷判決です。全文は、最高裁判所のHPにあります。
ちなみに大法廷判決というのは、最高裁判所の15人の裁判官が全員参加した裁判のことで、極めて重要な事件や、最高裁判所が前に出した判決の考え方を変更するときに開かれます。
かなり長く書いてしまったので、時間のない方は「詳細」の手前まで読んでいただければごくごく概要は分かるかと。
何が問題になったか
東京都が「日本人以外は管理職に昇進する試験を受けられません」としていたことが、法の下の平等を定めた憲法14条と、それの労働法上の現れである労働基準法3条に違反していないか
裁判所の判断
違反しない
才口千晴裁判官→違反しない(裁判所の判断に同意)
津野修裁判官→違反しない(裁判所の判断に同意)
(この判決が出た当時は、今回の国民審査の対象になる裁判官はこの2人しかいませんでした。)
詳細(といっても、できるだけ簡単に)
まず、この判決だけで、才口裁判官と津野裁判官の投票を決めてしまうのは望ましくないと思います。他のさまざまな要素も考慮して決めてください。
もう1点、なるべく客観的に分かりやすく書くのが目的ですが、どうしても僕のバイアスが入ってしまう点があります。それはご容赦ください。
事実関係
東京都で保健婦(公務員)として働いていたAさんの国籍は韓国籍でした。国籍は韓国籍ですが、日本に永住する特別永住者です。ちなみに、特別永住者とは、終戦以前から日本に住んでいて、サンフランシスコ平和条約によって日本国籍がなくなってしまった外国人とその子孫で、日本に永住することを許可された人たちです。特別永住者は一般的に、生活の本拠が日本にあり、現在では国籍国とのかかわりは非常に薄くなっていることが多いようです。
当時東京都は、管理職になるためには資格試験に受かることが必要で、これに受かると、受験した分野(医療や技術など)以外の管理職にも就けるという仕組みになっていました(現在はどうなっているか分かりません。)。
Aさんが、平成6年と7年に管理職昇進のための資格試験を受けようとしたところ、日本国籍ではないということで、試験をうけられませんでした。結果として、Aさんは、公務員としてそれ以上の昇進ができないことになりました。
法律
憲法14条は、「国民」が法の下に平等であって、人種などによって差別されないと定めています。これを受けて、労働基準法3条は、使用者が労働者を国籍によって差別してはいけない、と定めています。外国人は正確には「国民」にはあたりませんが、法の下の平等は何も国の枠に留まるものではない(前国家的権利と言われます)ので、権利の性質によっては外国人にも保障されると一般に考えられています。
この事件で問題になったのは、外国人が日本の地方公務員の管理職になる権利が日本人と同様に認められるか、という点です。まず、前提となる、外国人が公務員になる、という点については、憲法は権利として保障してはいないが、禁止もしていない(=法律や条例で認めることはOK)と考えられています。しかし、外国人であるがゆえに、できる仕事は限られている、というのが一般的な考え方です。それは、憲法が国民主権(国のあり方は最終的に国民が決めるという考え方)をとっているため、国の重要な決定や政策を外国人にまかせるわけにはいかないからです。政府は、「公権力の行使または国家意思形成の形成への参画にたずさわる公務員」は日本人に限る、としています。いまいち漠然としていますが、とりあえずは、重要な仕事はできませんよ、ということだと考えておけばよいと思います。ちなみに、裁判所は政府に従う必要はないので、この見解に反対することもできます。
さらに、採用の段階では外国人が公務員になる権利は保障されていませんが、いったん採用された後であれば、外国人であるというだけで不当に差別することは許されません。これは労働基準法3条が明確に国籍による差別を禁止していることからもわかります。
東京都は、外国人は一律に管理職になれないという扱いをしていました。管理職といってもいろいろな種類があり、その中には重要でない仕事(というと嘘ですが、要は上の政府の見解に当てはまらない仕事)もあるので、それを一切させないというのはおかしいのではないか、というのがAさんの主張の中心で、一番争いがあったところのようです。
裁判所の判断
裁判所は、上の政府見解を、多少丁寧にした上で、ほとんどそのまま受け入れました。論理としては、
公権力の行使または重要な施策に関する決定
↓
住民への影響が大きい
↓
こういう仕事の責任は、国民主権によって住民に対して最終的な責任を負っている日本人が担当するべき
↓
外国人はこういう仕事はできません
ということになります。
その上で、管理職の種類によって分けるかどうかは東京都が決められることで、分けなかったからといって憲法や労働基準法には違反しないよ、という判断をしました。これは、人事のやり方は東京都が自分で決められる部分があり、その範囲の中に、管理職をその種類で分けて試験をするかや、外国人に受験資格を与えるかどうかが含まれる、ということです。
才口裁判官と津野裁判官は、このような裁判所の判断を「正しい」と判断したわけです。
評価
僕の極めて個人的な意見です。
僕はこの判断にはちょっと疑問を持っています。
裁判所の判断のなかでは、Aさんが特別永住者であるという点が全くといっていいほど考慮されていません。外国人といっても、日本に旅行に来た人・留学している人から、生活の本拠地が完全に日本になっている人までさまざまです。特に、特別永住者の場合は、歴史的な経緯もあり自己のアイデンティティ主張のために国籍は外国にしてあるものの、日本語しかしゃべれないような人もたくさんいるそうです。このような人たちには、もうちょっと柔軟に対応してもよいのではないかと考えています。
藤田宙靖裁判官(今回は国民審査の対象ではありません。)が補足意見のなかで特別永住者を他の外国人と別の取り扱いをする必要はないという意見を述べています。理由としては、特別永住者は日本国内に「在留することのできる地位」があるだけであること、他の法律でも特別永住者を特別扱いしているものはないことをあげています。しかし、これは社会の実態からずいぶんと離れてしまっていると思います。また、裁判所は国会に物申す権利がある(このケースについては国会に裁量があるとしても、裁量権の逸脱と構成する余地もあると思います。)ので、他の法律が特別扱いしていないからといって、別の扱いが望ましいのであれば国会に文句をつけるべきだと思います。
もう1点。公務員になる権利を制限する理由として国民主権をあげるのも的外れだ、という批判がされています。ドイツでは、「行政においては、国民意思の形成ではなく、その実施が重要である」ので、国民意思の形成という国民主権の考え方から公務員になる権利の制限を説明するのはおかしい、と考えられているようです(憲法判例百選 〔第4版〕P.15←amazonに飛びます)。公務員になる権利と選挙ができる権利とは大きな違いがあると僕は考えているので、このような批判ももっともだと思います。
ずいぶんと長くなってしまいました。全部読んでくださった方、ありがとうございます。少しでも参考になればうれしいです。
明日もこんな感じで、非嫡出子の相続分の判決を取り上げようと思っています。
不明確な点や分からない点などにはぜひコメントをお寄せください。
ちなみに、親知らずを抜いたところは強烈に腫れ上がっていて、漫画みたいになってます。痛みはだいぶなくなったので、明日中には何とかなりそうな気配です。
見た目ほどしんどくはないのですが、周りの人が何かと気を使ってくれるので、楽させてもらってます。
ちなみに大法廷判決というのは、最高裁判所の15人の裁判官が全員参加した裁判のことで、極めて重要な事件や、最高裁判所が前に出した判決の考え方を変更するときに開かれます。
かなり長く書いてしまったので、時間のない方は「詳細」の手前まで読んでいただければごくごく概要は分かるかと。
何が問題になったか
東京都が「日本人以外は管理職に昇進する試験を受けられません」としていたことが、法の下の平等を定めた憲法14条と、それの労働法上の現れである労働基準法3条に違反していないか
裁判所の判断
違反しない
才口千晴裁判官→違反しない(裁判所の判断に同意)
津野修裁判官→違反しない(裁判所の判断に同意)
(この判決が出た当時は、今回の国民審査の対象になる裁判官はこの2人しかいませんでした。)
詳細(といっても、できるだけ簡単に)
まず、この判決だけで、才口裁判官と津野裁判官の投票を決めてしまうのは望ましくないと思います。他のさまざまな要素も考慮して決めてください。
もう1点、なるべく客観的に分かりやすく書くのが目的ですが、どうしても僕のバイアスが入ってしまう点があります。それはご容赦ください。
事実関係
東京都で保健婦(公務員)として働いていたAさんの国籍は韓国籍でした。国籍は韓国籍ですが、日本に永住する特別永住者です。ちなみに、特別永住者とは、終戦以前から日本に住んでいて、サンフランシスコ平和条約によって日本国籍がなくなってしまった外国人とその子孫で、日本に永住することを許可された人たちです。特別永住者は一般的に、生活の本拠が日本にあり、現在では国籍国とのかかわりは非常に薄くなっていることが多いようです。
当時東京都は、管理職になるためには資格試験に受かることが必要で、これに受かると、受験した分野(医療や技術など)以外の管理職にも就けるという仕組みになっていました(現在はどうなっているか分かりません。)。
Aさんが、平成6年と7年に管理職昇進のための資格試験を受けようとしたところ、日本国籍ではないということで、試験をうけられませんでした。結果として、Aさんは、公務員としてそれ以上の昇進ができないことになりました。
法律
憲法14条は、「国民」が法の下に平等であって、人種などによって差別されないと定めています。これを受けて、労働基準法3条は、使用者が労働者を国籍によって差別してはいけない、と定めています。外国人は正確には「国民」にはあたりませんが、法の下の平等は何も国の枠に留まるものではない(前国家的権利と言われます)ので、権利の性質によっては外国人にも保障されると一般に考えられています。
この事件で問題になったのは、外国人が日本の地方公務員の管理職になる権利が日本人と同様に認められるか、という点です。まず、前提となる、外国人が公務員になる、という点については、憲法は権利として保障してはいないが、禁止もしていない(=法律や条例で認めることはOK)と考えられています。しかし、外国人であるがゆえに、できる仕事は限られている、というのが一般的な考え方です。それは、憲法が国民主権(国のあり方は最終的に国民が決めるという考え方)をとっているため、国の重要な決定や政策を外国人にまかせるわけにはいかないからです。政府は、「公権力の行使または国家意思形成の形成への参画にたずさわる公務員」は日本人に限る、としています。いまいち漠然としていますが、とりあえずは、重要な仕事はできませんよ、ということだと考えておけばよいと思います。ちなみに、裁判所は政府に従う必要はないので、この見解に反対することもできます。
さらに、採用の段階では外国人が公務員になる権利は保障されていませんが、いったん採用された後であれば、外国人であるというだけで不当に差別することは許されません。これは労働基準法3条が明確に国籍による差別を禁止していることからもわかります。
東京都は、外国人は一律に管理職になれないという扱いをしていました。管理職といってもいろいろな種類があり、その中には重要でない仕事(というと嘘ですが、要は上の政府の見解に当てはまらない仕事)もあるので、それを一切させないというのはおかしいのではないか、というのがAさんの主張の中心で、一番争いがあったところのようです。
裁判所の判断
裁判所は、上の政府見解を、多少丁寧にした上で、ほとんどそのまま受け入れました。論理としては、
公権力の行使または重要な施策に関する決定
↓
住民への影響が大きい
↓
こういう仕事の責任は、国民主権によって住民に対して最終的な責任を負っている日本人が担当するべき
↓
外国人はこういう仕事はできません
ということになります。
その上で、管理職の種類によって分けるかどうかは東京都が決められることで、分けなかったからといって憲法や労働基準法には違反しないよ、という判断をしました。これは、人事のやり方は東京都が自分で決められる部分があり、その範囲の中に、管理職をその種類で分けて試験をするかや、外国人に受験資格を与えるかどうかが含まれる、ということです。
才口裁判官と津野裁判官は、このような裁判所の判断を「正しい」と判断したわけです。
評価
僕の極めて個人的な意見です。
僕はこの判断にはちょっと疑問を持っています。
裁判所の判断のなかでは、Aさんが特別永住者であるという点が全くといっていいほど考慮されていません。外国人といっても、日本に旅行に来た人・留学している人から、生活の本拠地が完全に日本になっている人までさまざまです。特に、特別永住者の場合は、歴史的な経緯もあり自己のアイデンティティ主張のために国籍は外国にしてあるものの、日本語しかしゃべれないような人もたくさんいるそうです。このような人たちには、もうちょっと柔軟に対応してもよいのではないかと考えています。
藤田宙靖裁判官(今回は国民審査の対象ではありません。)が補足意見のなかで特別永住者を他の外国人と別の取り扱いをする必要はないという意見を述べています。理由としては、特別永住者は日本国内に「在留することのできる地位」があるだけであること、他の法律でも特別永住者を特別扱いしているものはないことをあげています。しかし、これは社会の実態からずいぶんと離れてしまっていると思います。また、裁判所は国会に物申す権利がある(このケースについては国会に裁量があるとしても、裁量権の逸脱と構成する余地もあると思います。)ので、他の法律が特別扱いしていないからといって、別の扱いが望ましいのであれば国会に文句をつけるべきだと思います。
もう1点。公務員になる権利を制限する理由として国民主権をあげるのも的外れだ、という批判がされています。ドイツでは、「行政においては、国民意思の形成ではなく、その実施が重要である」ので、国民意思の形成という国民主権の考え方から公務員になる権利の制限を説明するのはおかしい、と考えられているようです(憲法判例百選 〔第4版〕P.15←amazonに飛びます)。公務員になる権利と選挙ができる権利とは大きな違いがあると僕は考えているので、このような批判ももっともだと思います。
ずいぶんと長くなってしまいました。全部読んでくださった方、ありがとうございます。少しでも参考になればうれしいです。
明日もこんな感じで、非嫡出子の相続分の判決を取り上げようと思っています。
不明確な点や分からない点などにはぜひコメントをお寄せください。
ちなみに、親知らずを抜いたところは強烈に腫れ上がっていて、漫画みたいになってます。痛みはだいぶなくなったので、明日中には何とかなりそうな気配です。
見た目ほどしんどくはないのですが、周りの人が何かと気を使ってくれるので、楽させてもらってます。
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